もうずいぶん前の話になるがチョット聞いて下さいな。
2005年頃、私は1冊の本と出合った。
人形道祖神 境界神の原像 神野善治著
主に東日本、特に東北地方に数多く存在する人形の道祖神の詳細な研究を記録した名著だ。
その異形の神々の存在に驚き、この重い本を携えて
秋田や
新潟に赴いたものだった。
その際、茨城県にある人形道祖神も幾つか訪問したのだった。
…当然当サイトでも報告済みなはずなのだが…アレ?
してませんねえ…
スミマセン。すっかり忘れてたので、改めて現状確認しつつ改めて報告させて頂きます。
…というわけで、2005年と2021年の道祖神の様子を比較しながらお伝えしていきますよ。
最初に概要を。
訪れたのは茨城県の
石岡市の井関地区。
霞ヶ浦の北の辺りに位置する農村だ。
書籍「人形道祖神」によればこのエリアには数体の人形道祖神があるとされている。
いずれも大人形と呼ばれており、1.5〜2メートルほどの大きさである。
いずれもムラに災いが来ないように設置されている。
最初は代田という字にある大人形。
こちらが2005年バージョン。
全身杉の葉に覆われており、凶暴なオランウータンのようだ。
そしてこちらが2021年版。
身体は前回と同じようだったが、顔だけが変わっていた。
顔の書き方には細かいルールはないのだろうか。
持ち物や構造自体は変わらない。
右手に竹の竿を持ち、脇に刀をさし、股間には藁で出来た男根を備えている。
それでも顔が変わるだけでかなり印象が変わって来る。
…悪い事を企んでる浦沢直樹みたいな顔っすね。
この大人形、丁度道の曲がり角にあるのだが、わざわざ大人形を設置するスペースを確保するために塀の角をくぼませてある。
従って何も知らずにこの角を曲がろうとするといきなり大人形が目に入って来るような塩梅となっている。
夜に知らずにこの大人形にいきなり出くわしたら相当驚くだろうなあ。
次に向かったのは梶和崎。
2005年にはこんな大人形が立っていた。
立っているというか、座っているというか…
ムラを守るという機能は果たしているようですね。
しかし2021年に行ってみると影も形もなくなっていた。
因みに2012年に撮影されたグーグルのストリートビューでその姿は確認出来る。
この大人形は毎年夏に作り変えられるというが、やはり人手不足なのだろうか。
それとも
コロナ禍の影響だろうか。
お次はやや南の古酒。
ここにも2005年には路傍に大人形があった。
作られてから9か月ほど経過しているのでボロボロの状態になっていた。
おかげで内部の構造が判る。
この大人形、身体のベースは藁で作られている。
一番上は籠で補強し、頭部を作る。そこに紙に描いた顔を貼り、全身を杉の葉で覆うのだ。
そう考えると基本的な構造は東北地方の人形道祖神によく似ているといえよう。
保存のためか、顔にはビニールシートが被せられており、それがまた図らずしも異様な迫力を醸し出してしまったようだ。
2021年に再訪してみると大人形は姿を消していた。
ここも後日ストリートビューで確認すると2012年には大人形は存在していた。
お次は長者峰。
薄暗い林の入口にそれはいるという。
判らない?
少し近寄ってみましょう。
ほら!いた!
他の大人形と同じく杉の葉で覆われている。
パプアニューギニアあたりの仮面のような強烈な顔。
…悪い事を企んでる高橋悦史みたいな顔っすね(知らない人は自分で検索!)。
疫病や災厄を吹っ飛ばすほどのインパクト。
手、乳、ヘソ、刀鍔などは藁で編まれている。
このような作り方も一旦途絶えたらもう復活することもないのだろう。
この大人形だけは顔が紙ではなく板で作られている。
その点では歌舞伎の隈取りのような面を使う福島県船引町(現田村市)の
オニンギョウサマを彷彿とさせるものがある。
杉の葉を使用する点も似ているといえば似ているしね。
東北や新潟のものに比べると小型だが、その呪術的なパワーは引けをとらない。
2カ所ほど無くなってしまったのが残念だが、コロナ禍が落ち着いたら復活することを願いつつ、現場からは以上です。
さて。
ところ変わってつくばみらい市旧谷和原村。
ここにも路傍に人形がいると聞きつけてやって来た。
場所は西丸山の交差点。
葵の花の隣にちょこんと立っていた。
至ってシンプルな藁人形だ。
この人形は
天狗だと言われている。
なるほど、見れば顔の部分から棒状のモノが飛び出している。
傍にある説明によれば西丸山集落の安全、無病息災、厄除け、五穀豊穣を願って1月の初囃子の際に納めるものだとか。
囃子は鹿島神社で行い、その後、集落北の月読神社に囃子を奉納し、藁人形を納める。
さらにその後、各家々を廻りこの交差点に藁人形を納めるのだそうな。
因みに北の月読神社に納めるのが男人形で、この交差点に納めるのが女人形だそうな。
見たところ、人形には女性を象徴するようなアイテムは見当たらなかった。
むしろ刀を差しているので最初は男人形なのかな、と思ったほどだ。
で、今度は集落の北にある月読神社へ。
神社の駒寄に人形が縛り付けられていました。
こちらは男人形。
先程の女人形と造形上の違いは判らない。
これ見よがしにデカい男性器を付けるケースが多いのだが、ここの人形にはそのようなものはない。
これは北関東でよく見られる
大助人形の系譜だろう。
大助人形は鹿島信仰と密接に関わっており、ここ西丸山の人形奉納も鹿島神社を基点としている点も見逃せない。
手足の指がキッチリ5本に網み別けられていたのが印象的だった。
そういえば茨城県鹿嶋市の本家、鹿島神宮ではコロナ退散を祈願して、50年ぶりに大助人形の奉納が復活したそうだ。
大助人形は鹿島の神が東北を平定した際に加勢した兵の姿とされている。
そう考えると、東北地方に点在する人形道祖神はそもそもこの大助人形がルーツなのかもしれない。
今まで勝手に東北地方独自の習俗が関東にまで広がってきたと思っていたが、関東から東北に広がったと考えた方が自然な気がしてきたぞ。
そういえば東北地方の人形道祖神はしばしばカシマサマと呼ばれているし、
鹿島送りという人形送りの祭りも盛んだ。
うむー。これはまた勉強しなおしだなー。