春日井駅前弘法/春日井市


大弘法巡りもいよいよゴール地点である。

春日井駅前にある大弘法だ。

駅前とはいうものの駅に降り立ってもその姿は見えない。

かつては駅からも良く見えたのだろうが今は駅前ロータリーの建物の陰に隠れてチョットさびしんぼう。

探す事数分、ありました、ありました。

周囲を住宅や店鋪に囲まれた大弘法、ここだけがサンクチュアリのように濃い雰囲気につつまれている。

 中にはこれまた大きな10メートル程の弘法大師のコンクリ立像がおわした。

若干退色気味なれど花や線香が手向けられ、ここもまた篤き信仰の現場であることが伺える。

この大弘法が建てられたのが昭和7年。年代が判っている大弘法の中では一番最後、という事になる。

しかし尾張三大弘法厄除弘法大師良福寺大弘法の建立が前年の昭和6年なので尾張三大弘法第三番はココかも!と思ったのだが、境内にそれを示すものは何もなかった。

建立の主旨としては昭和2年の春日井駅(当時は鳥居松駅)開設を記念して、駅開設に尽力した林長三郎という人物が発願したという事なので直接尾張三大弘法とは関係ないのかも。もしかしたら昭和3年にお隣の勝川駅にも大弘法が出来たので、ここはひとつ鳥居松にもでっかい弘法様をつくってやろうじゃないか!的な発想だったのかも知れない。今となってはその真意は知れないが。

ちなみにこの大弘法建設時には近在の人々の協力を得て庄内川の河原から拾って来た100万個の小石に南無阿弥陀仏と墨書してコンクリに練り込んだそうだ。

・・・何故に弘法大師で南無阿弥陀仏?などと野暮な事をいわないように。こういうのは気合いが大事なんですから。

 

大弘法の前には力也さんみたいな仁王像、やけに頭がもりあがっている薬師様、「陸海軍戦病死者 鐵道不時災厄死者 並各精霊供養塔」と刻まれた擬宝珠型の供養塔などが配置されている。

で、改めて大弘法像を見てみる。

ドングリ眼にへの字口〜♪(by忍者ハットリ君)なところや立ち姿が尾張旭の厄除弘法大師とそっくり。

これももしかしたらアノ人の作なのではなかろうか。

 

 

もしそうならば私が敬愛して止まない浅野祥雲師父の大作に一日の内に2つも見ることが出来たという事になる。

その僥倖たるや弘法サマのお導きにただただ感謝するばかり。南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛〜

それ以上に2年連続で10メートル級の大弘法を仕上げた浅野氏のハードワーキングっぷり

さっすがゴッドファーザーオブ☆コンクリ仏である。

 

一旦、敷地を出て大弘法像の裏手にまわると台座の下の部分に入口があった。

 
中には何故か神棚と弘法大師のミニチュア像が並んでいた。

薄暗い中、良く見るとかなり内部が傷んでいる。

壁は黒ずみ、天井はスラブ内の鉄筋が腐食しているのだろうか、茶色い染みが浮き出ていて所々表面が剥離している。

 これだけ年期の入ったコンクリ空間は逆に凄みすら感じてしまうぞ。

 

コンクリートの耐用年数は一般的には5〜60年と言われている。だとすればボチボチ補強なり修復なりの工事をせねばならない時期を迎えているはずだ。

これは日本中にあるコンクリ仏の宿命だが、21世紀を迎えた現在、昭和初期に作られたコンクリ仏の名作が次々と消えていっている。

地域や信徒の人達の個人的なレベルでの努力ではどうにもならないケースがほとんどであり、かといって高崎観音のように全てのコンクリ仏が文化財に指定されるとも考え難い。

私に出来る事といえば今現在、尾張にこのような素晴らしいコンクリ大弘法がある、という事を皆さんにお知らせするのみである。

 

興味を持たれた方は是非これらの大弘法を訪れて、昭和初期に存在した熱い時代の残照を網膜に焼きつけていただきたい。

 

もしかしたら残された時間はあまりないのかも知れない。

 

 ・・・いつまでも大弘法の勇姿を眺めていたいのだが残念ながらそろそろ日が暮れる。

これから春日井の裏名所トランポリン喫茶に行くのでこれにて失礼しますよ。

 

愛知大弘法巡り おしまい


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