木之本地蔵/滋賀県




日本一巨大といわれるお地蔵さんに会いに琵琶湖沿いを電車でガタンガタン。

途中車窓から琵琶湖沿岸におわすもう一体の大仏さんを拝んだり。



おお、以前訪れた時に比べて表面のテカりも消えてだんだん周囲に馴染んできた…ように思えるのは気のせいか?




そんなこんなで湖北の木之本駅に到着。

駅近くの木之本地蔵院というお寺に向かう。

門前には雰囲気のある建物が並び、いかにも北国街道の宿場町、といった雰囲気に満ちている。




境内に入ると本堂である地蔵堂の右に早くもお地蔵さんの姿が。



このお地蔵さん、秘仏である本尊の地蔵菩薩像を巨大化させたもので大きさは6メートル。

日本一のお地蔵さんかどうかはこういう方こういう方もいらっしゃることですし、敢えて断言は避けときますが、それでも鋳造製の大仏(大地蔵すか)としては光背や錫杖があるだけに技術的には結構大変だったのではなかろうかと想像される。


建立は明治27年。戦時中の金属供出は断固拒否したとか。

明治23年に建立された初代兵庫大仏と共に大仏といえば鋳造製だった時代の最後の灯火として記憶に留めておいていただきたい。

この後、時代はコンクリ大仏時代に突入し、大仏のありようがガラッと変わってしまうのである。



    


この湖北地方はいわずと知れた十一面観音の里である。

国宝、重文級のスター仏像がひしめく仏像界のリーガエスパニョーラ。
いやいや、リーガはやっぱ京都だね。で、プレミアが奈良でしょ。だからセリエAあたり、ということで。ん〜やっぱブンデス?


あ、どうでもいいですね。この例え。じゃあJリーグでいうと…見た目で平山!でかいし。顔似てるし。



…閑話休題、ともかく。

そんなお土地柄ゆえどうしても仏像の造形はシビアにならざるを得まい。

というわけでココのお地蔵さんもビッグサイズながらも造形は手堅い



如何であろう、この頭部の滑らかさ、衣のリアリティ、指先の細やかさ、全体のバランス。

昔何かの本で読んだが、仏師は不動明王のファイヤーパターンから始めて最後に地蔵菩薩が彫れて一人前なんだとか。

シンプルだけに難しいということか。



昨今の気候の変化のせいか、風邪を召されているようで鼻水が垂れてしまっているのが返す返すも残念である。


さて、このお地蔵さん、実はその大きさ以上に特筆すべきことがあるのだ。

お地蔵さんの足元に注目されたし。



何やら緑色のドットが見えやしまいか。

そう、それは大量のカエルの陶器なのだ。


    

もう、緑色のカエルでわんさかわんさか溢れんばかり。

地震とかあって崩れない?レベルのてんこ盛りっぷり。



ここのところ妙にカエル付いてる気もするが、それはさておきここのカエルに注目しようではないか。



一体一体よ〜く見てみると皆一様にウインクしているではないか。

これは身代わりカエルといい、貴方の目の災難をこのカエルが代わりに被ってくれる、というもの。

それにしても凄い量である。うわ、気が付いたら欄干の下にも台座の基にも。チョット気持ち悪いす…


    


燈籠とかにもカエル乗ってるし。

     








さて、お地蔵さんの脇、本堂の地下に戒壇巡りがあった。



平成18年完成の出来立てホヤホヤの戒壇巡りである。

戒壇巡りマニアとしては勿論行きますとも〜。来るなと言われても行きますとも〜。



本堂の下、本尊の直下を通る56.7メートルの暗闇の回廊。

ちなみに本堂は江戸中期の建物、そこに後付で戒壇巡り作るって凄くないすか?

まあ、とにかく入ってみよう。

様子が伺えるのはこの辺まで、この先は漆黒の暗闇となる。

    


ほどなくして戒壇巡り終了。

ん?中はどうだったって?

ハイ、真っ暗で何も見えませんでした!





戒壇巡りを出たところに使用済み眼鏡を納める箱が。

    

こういうのを見ると若い頃は「たかがゴミみたいな眼鏡じゃねえかよ!」とか思っていた。いや、去年辺りまではそう思っていた。

しかし寄る年波に勝てず眼鏡を使用する身となって初めて眼鏡を納める気持ちが判りました…

ホント使わなくなった眼鏡も大事に供養したいですね。青い眼鏡ケースに「すてる」って書いてあるのが泣ける。

年とったなー、俺。











さて、遅ればせながら本堂に参拝である。

    本堂で上を見てみると…

箱に入った人形
が掲げられていたりして、吃驚。

ちなみにその左にあるのは竹。

三つ又の竹が奉納してあるのをたまに見かけるが、これ何なんでしょ。



    本堂の手すりや擬宝珠には大量のおみくじが結ばれていた。

こういった野放図な感じがこの寺の特徴とも言えるのかもしれない。

カエルとかもかなりフリーキーに置かれてるし。


   

水屋のカエル。

こちらはウインクしてなかった。



総じて、このお寺は参拝者や奉納する人が大手を振って闊歩している感じが印象的だった。

お寺よりも参拝者がイニシアティブを取ってるイメージが強かったということ。





このように奉納物が多い寺とそうでもない寺の違いってなんだろう?


参拝者はお参りした証としてお寺からお守りやお札を買って家に持って帰る。

一方で自分が用意した、あるいはお寺で用意されたモノを奉納物としてお寺に自分の分身として置いて来る。

家から寺へ、寺から家へ。様々な信仰グッズが行ったり。


いずれにせよ私は奉納物が多い寺が好きだ。面白いもん。




お寺のものとしては気合の入ったホームページがありました。このレポートなど必要ないほどの情報量でした…

2009.05.
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