茨城県の北部、袋田の滝で有名な大子町に変わったお地蔵さんがあると聞き行ってきたよ。
場所は道の駅奥久慈だいごのすぐ近く。というか道の駅の駐車場にすでに案内板が出ている。
「日本一、大きい地蔵尊です。 大子地蔵尊 ←近道徒歩3分」
ああ、あれだ、あれだ。
小山をバックに住宅の隙間から見えるお地蔵さんの姿は台座込みでもせいぜい10メートルにも足りなめ。
とても日本一大きい地蔵尊、とは思えないが、まあ、いいでしょう。
コンクリート製のお地蔵さん。
赤い帽子と前掛けまでコンクリートで作られている。
近づくに従ってお地蔵さんのゆるさ爆発具合に見ているこちらも脱力し放題。
カクカクした造作もだが、何とも憎めない表情をしている。
右手に錫錠、左手に宝珠を持って呑気に遠くを眺めている塩梅。
足元の蓮台もいい感じの色使いですね。
ちなみに蓮台の上にある黄色と水色の四角は賽銭箱、を模したんだと思うのだが用途不明です…
あ、よく見たら眉がない。目の上にはアイラインばっちり。
隣には祠があり、何やら古そうな石像が赤い布に包まれて鎮座していた。
赤い布が捲れて足元から子供の顔が出ている。
両サイドの白い布に包まれているのはナンなんでしょう?せめて尊顔くらい見せていただかないと。
祠にあった説明によればこの石のお地蔵さん、実は元々この地にあったものではないという。
慶長3(1598)年の時点では現在地の近くにある松沼橋の100メートル上流にあった渡し場に安置されていたという。
時は下って明治23年の久慈川大増水により数百メートルも流されてしまい明治26年には対岸に本堂を建て直したという。
その後どういう経緯があったのかは判らないが昭和40年7月に現在地に遷座されたのだという。
ここまでのストーリーを見れば、二転三転した霊験あらたかなお地蔵さんが安住の地を得た記念として「ここはいっちょ日本一のお地蔵さんを造るか!」みたいなノリで大地蔵が誕生したのではなかろうか…
大地蔵さんの台座と祠の間に人ひとりがやっと通れる隙間があり、そこに大子地蔵尊建立記念のプレートが取り付けられている。
蜘蛛の巣を掻き分け蚊に刺されまくりながら何とか見てみると…
ぬあんと建立は昭和39年11月となっているではないか!
繰り返すが石のお地蔵さんが遷座したのが昭和40年7月。
ということはコンクリのお地蔵さんが出来た後に石のお地蔵さんが来た事になる。
時期的には数ヶ月の差だが、これは見逃せないぞ。
コンクリのお地蔵さんが先に出来た、という事は歴史のある霊験あらたかな石のお地蔵さんを称える為のコンクリ地蔵建立という図式が根底から崩れてしまうからだ。
むしろ「松沼橋のところにおっきなお地蔵さんがあるからついでにそこに置いとくか」的な発想から遷座された可能性すら考えられる。
あるいは元々松沼側にあったお地蔵さんを水害で対岸に持っていかれちゃったので、それを奪還するためにコンクリのおっきなお地蔵さんを建立して誘致した、というストーリーも考えられる。
真相は謎だが想像力をかき立てられるコンクリ地蔵であった。
ホントのところをご存知の方がいらっしゃったら是非教えてください。
おまけ
ハナシは全く変わりますが、子安地蔵に行く途中で見かけたお寺に二階建ての山門がありました。
200円を払えば2階に登れるのだが、その入口がこんなでした…
情報提供はまんじまるさんです
2006.7.
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