入内の石神様/青森県





そもそものきっかけはオカルト研究家の吉田悠軌さんとの対談だった。



考える「珍スポット」 知的ワンダーランドを巡る旅
その時の様子はこちらに収録されているので興味ある方はこちらにてお買い求めくださいませ。



で、話によると青森の山中に凄い岩があって、その周辺にも奇岩が点在していて、お薦めの場所なのだそうな。


というわけで青森に訪れた際に是非寄ってみようと心に秘めていたわけですよ。

で、青森に取材がてら旅行する機会があったので行ってみることにした。


場所は青森空港の比較的近く。

空路で青森入りし、そこでレンタカーを借りる手筈だったので、空港から直行すればいいや、と考えていた。

ところが青森入りした日が大豪雨。


未舗装の山道、と聞いていたのでその日は断念。

翌日、天気が回復したのを見計らって向かったのであった。



奇岩があるのは石神神社

空港からしばらくは舗装道が続いている。



途中にいくつか寺社が点在しているので寄り道しながら石神神社を目指す。




こちらは入内観音堂

この辺りまで来ると人家も少なく、秘境感がぐんぐん増してくる。




地元の霊場の札所だけに巡礼札が沢山奉納されている。




中には派手な祭壇。

その脇には馬の模型が奉納されている。




そういえば以前訪れた赤倉霊場の入り口にもこのような馬があったなあ。


さらに人気のない道を進む。

道はいつしか未舗装道になり、昨日降った雨のため、あちこちで道が削られていた。

時々川のような洪水により道がえぐられている。

え?ココ行けるの?という場所を何でも切り抜け石神神社まであと少し、というところに滝があった。




滝は巨大な一枚岩からなっており、息をのむような美しさ。




昨日の雨のせいで水量が増しているのだろうか。

近づくと恐ろしいほどの迫力だ。




滝の近くには祭祀の痕跡がある。

吉田さん情報によると滝行も行われているとのこと。

確かに滝行にはもってこいの場所だ。





そうこうしている内にやっと石神神社に到着した。

正直よくここまでたどり着けた、と借りた車と自分を褒めてあげたい心境だった。




駐車場の周辺には神社の建物があった。

ここで泊まり込みの修行をするためのものだろうか。


当初の目的である奇岩をめざして石段を上っていく。


   

階段の手前には昇り流と降り流の石柱が仁王像のように建っていた。

これ、赤倉霊場でも見たことあるな。

ここも赤倉同様、カミサマの修行場でもあるというのだ。

カミサマとは青森県下に存在する民間の霊能者のことだ。

その多くが霊力を得る(増す)ために山に籠り、修行をするのだという。




階段を上りきると社殿が。




内部には神明宮という提灯が下がっていた。




脇にはたくさんの白布が下がっていた。



そして社殿の奥からただならぬ視線を感じて見てみると…




そう、入内の石神様である。



凄くないすかコレ?

まるで未知の生き物の頭部のようだ。

2メートルほどの高さの岩の左右に穴が開いており、その中にまるで目玉のように別の石が生成されている。

じーっとこちらを恨めしそうに睨みつけているようなその姿からは、巨石信仰とはまた違う畏れを感じてしまう。




この目のような部分、右目に相当する石が月読大神、左目が天照皇大神なのだという。

伊弉諾尊の右目から月読命が生まれ、左目から天照大御神が生まれたとされる古事記の記述に着想を得たのだろう。




右目(向かって左側)の部分には水が溜まっており、この水が眼病に効くという。

見ようによっては魚のクエのようだ。




こちらは左目(向かって右側)。

石の割れ方からして右目とは異なる凝固過程を経ていることが判る。




火成岩が生成される際、異なる成分が混ざって偶然このような形になったのだろう。

それにしてもこの骸骨のような異星人の頭部のような形状にはオカルト的な素養のない人間でも何らかの意味を付与したくなってしまう。




この石神様は江戸時代から眼病治癒の神様として信仰の対象となっていたとか。



ところが明治に入ると神社としての体裁がとられていないことを理由に信仰を禁止されてしまったという。

それでも信仰は絶えず、祈願所を願い出たが、明治5年に県庁から改めて邪教の類として不許可に

さらにこの石の破壊すら試みられたというのだ。





今となっては何でそこまで田舎の素朴な信仰を敵視しなければならないのだろう?と思えるが、新政府はそれだけ民間信仰を恐れていたのかもしれない。


幕末のええじゃないかの流行を持ち出すまでもなく、流行り神、民間信仰というものは常に庶民の不満を集積する装置となる可能性をはらんでいる。

従って為政者はどんな小さな民間信仰でもその芽を摘んでおきたかったのかもしれない。


特にこの石神様が「愚民を惑わす妖言」として邪教扱いされた明治5年というのは青森県が出来た翌年である。

幕末からの遺恨や複雑な歴史、経済格差を抱える青森県はその成立過程自体に中央政府の思惑が特に色濃く反映した県と言えよう。

そんな県が地方の小さな信仰にまで口を出すということは、この地方における民間信仰がいかに強大な力を持っていたかを知っていたのではなかろうか。



ひょっとして石神様の睨みつける姿に県の役人もマジでビビってしまったのかもしれない。

…そんな突拍子もない想像すらしてしまうほど、その姿は異様なのである。






その後、整備され石神神社として現在に至るわけだが、広大な境内には奇岩が点在しており、それぞれ信仰の対象になっている。

本当は全部見たかったが、どう考えてもこのコンディションで山道を歩くのは無理!ということで泣く泣く諦めました。

機会があれば(というか天気がいい日に)また行きたい素敵な霊場であった。






2018.08.
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