大滝不動尊/山形県




宮城県と山形県の県境近く、二井宿峠の近くに大滝不動尊という魅力的な寺がある。

二井宿は山形県高畠町と宮城県七ヶ宿町を結ぶ峠にある在で、かなり古い歴史を持つ。

私の住む関東からここへ向かう場合、地図を見る限り宮城県の白石市から国道113号を西に進み、山形県との県境直前で旧道に入るのが常道のようだ。

ところが調べてみるとその旧道が通行止めになっていた(2018年5月時点)。

なので、東北道から東北中央自動車道に乗り換え山形県側の高畠から白石方面へと回り込むような形で二井宿に向かう。

みちのくおとぎ街道という道を進んでいくと人家は途切れ段々険しい山道になって来る。

おとぎ街道というよりは物の怪が出てきそうな雰囲気だぞ。


で、現れたのがこちら。



えええ。木が倒れてて先に進めないじゃん!

とは思ったものの、カーナビによれば目的地はすぐそこ。

車を降りてみる。




道の脇には峠の茶屋の廃屋が残っている。

うむー。新道が出来たのでこの旧道も使われなくなってしまったんだろうなあ。しかも通行止めだし。




おっと。見えてきました。

本日の目的地、大滝不動尊でございます。

ここから先への白石方面への道は見事に通行止めになっている。

何とかギリギリ辿り着けてよかったよ。




斜面の上には3m程の不動明王が立っている。

さらに上に向かって細く急な階段が続いている。

その周辺には無数の金属製の剣が奉納されている。




足元には湯殿山と庚申の石碑が。




早速不動様に向かって階段を上る。

日本一大滝不動明王の看板が誇らしげだ。




残念ながら不動明王に至る道は崩壊しており、近づくことは出来なかった。




道は通行止めだし、木は倒れてるし、斜面は崩れてるし、中々大変な場所だ。




階段の逆サイドには慈母観音。




そして木の根元には山の神。




見上げると立派な杉。

階段の両脇に同じ大きさの杉の木が生えており、まるで山門のようだった。




階段を上りきったところにこじんまりとしたお堂があった。

青いシートで覆われているのは害獣か積雪か落葉対策なのだろうか。

シートの隙間からお邪魔しますよ、っと。




おおおー!すげー!



剣だらけ、である。




壁中におびただしい数の鉄剣が奉納されているのだ。




左側面に回り込むとそこにも大量の剣が。




剣で重武装したお堂である。

何だかワルモノが来たらこの剣がピュンピュン飛んできそうな勢いだ。




ここの不動尊は鎌倉時代に新潟県の菅谷不動尊から分霊されたという。

菅谷不動尊とは新発田市にある日本三大不動と称される寺で眼病平癒に御利益のある寺として有名だ。


またここから千メートル南に大滝という修験道の霊場があり、その滝つぼに不動明王の姿が現れたところから大滝不動尊と命名されたそうな。




1円玉でつくられた奉納額。




剣は勿論不動明王の宝剣にちなんで奉納されたものだ。

鉄剣の奉納習俗に関しては日本武尊信仰に由来するものや金神信仰に由来するものなど様々だ。

私の体験的感覚からすると特に東北地方にはこのような形式の鉄剣奉納が多いような気がする。

その中でもこの奉納密度はかなりのものと言えよう。




近在の鍛冶屋に作らせたものなのだろうが、その形状も微妙に違いがある。




不動明王が待つ宝剣であれば鍔の部分が反りあがっている三鈷剣が一般的だが、簡略化したのか何か意図的なモノがあるのか、色々な形状の剣があって興味深い。




右側面にも剣が沢山奉納されている。




見上げると観音様の糸絵。

この絵はこの後他の寺でも見た。同じ人の手によるものなのだろう。




足元には手鏡も奉納されていた。

ヒカリモノということで剣の代わりに奉納したのだろうか。

あるいは三種の神器の鏡にちなんで?違うか。

鏡と一緒に鉄鎖もあった。これは不動明王が左手に持つ羂索(けんさく)に因んだものだろう。




正面には精緻な彫刻が施されている。

この堂は嘉永五(1852)年に再建された。

戸田半七という地元の宮大工が手掛けたという。

この戸田半七という人物、地元では日本三大名人と称される人物で、何でも夢枕に仏の使者が現れて、この龍を指示したとか。

左甚五郎の眠り猫ならぬ眠り龍というそうな。

抽象的な表現の波型が特徴的な彫刻である。


あと龍の上に緑色の顔があるのは…何?




こちらの唐獅子は昭和50年に盗難にあい、その後地元出身のこけし職人が作ったそうな。




本堂前から峠道を見下ろす。

かつては数多くの旅人がこの峠を越えて山形と宮城を往来していたことだろう。

しかし新道が出来て、しかも通行止めになってしまった今、この峠を越える者もいなくなってしまった。

個人的な想像だが、ここの不動尊は元々峠を守護する境界神=道祖神のような存在だったのではなかろうか。

仏法を守護するために威嚇的な憤怒相をした不動明王はどこか外界からムラを守護する道祖神とどこかイメージが重なるように思えるのだ。

国境の峠にあって旅の安全を見守る存在と同時に疫病や災厄を防ぐ守護神としての役割が不動明王に与えられたのではないだろうか。

そう考えると、現状のこの場所において不動明王の役割はかなり少なくなってしまったような気がする。


それでもここがかつての交通の要所であったことを示すためにもここの信仰を絶やさずにいて欲しいものだ。



2018.05.
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