山陰の両墓制/鳥取県、島根県





山陰地方をウロウロ。

お目当ては墓である。


あまり知られていないかもしれないが、山陰地方には両墓制の墓地が数多く存在するのだ。


両墓制とは簡単に言うと遺体を埋葬する場所と墓石を建てる場所が異なる葬法のことだ。

一般的には埋葬地をウメバカ(埋め墓)、墓石のある墓をマイリバカ(詣り墓)という。

(※実際には各地方でステバカとかヒヤとか様々な呼称があるが、ここでは「ウメバカ/マイリバカ」という呼称で統一させていただく)


何故このような葬法が生まれたのかは諸説あるが、一般的には死へのケガレ思想から来るものとされている。

また遺体を埋葬した場所は陥没しやすく、その上に墓石を建てると墓石が傾く恐れがある、という現実的な理由もある。



いずれにせよ、両墓制は遺体を土葬する葬法が一般的であった時代の名残りであり、火葬が主流となった現代ではほとんど見られなくなった。

しかし、火葬が一般的になろうが、過去の記憶や習俗は簡単に変えることはできない。

21世紀を迎えた現在でも両墓制は日本各地に存在するのである。

特に瀬戸内、近畿、三重そしてこの山陰には両墓制の習俗が色濃く残っている。




と、いうわけで、両墓制の墓地を求めて山陰をウロウロしたレポをお届けする次第である。

いつにも増して地味な内容だが、最後までお付き合いいただけたらコレ幸いでございます。






最初に向かったのは島根県安来市

中海の南岸にある赤江町の墓だ。




この中でどれが墓地だかお判りだろうか?


道路の左側にある小高い丘?

それとも右の水田の中にあるのところ?


…正解はどちらも墓地なのです。

左の丘は遺体を埋葬するウメバカで右は墓石のあるマイリバカなのだ。





マイリバカは田んぼの中にある。

丁度田植え直後だったので、まるで湖に浮かぶ小島のようだった。




こちらはウメバカ。

一般的にマイリバカに対してウメバカは陰鬱な場所にある場合が多いのだが、ここの墓はマイリバカに隣接しているのみならず、丘陵上の場所にあり、明るい印象があった。



ウメバカに入ってみる。



墓地は陽当たりが良く、カラッとした印象だ。




埋葬地には丸い石が置かれている。

両墓制のウメバカによく見られる光景で、一般的にはハカジルシ(墓印)と呼ばれている。

つまり遺体を土葬した地点を特定するために遺族が川原や海辺で拾ってきて置くのだ。


遺族が自ら拾ってきた石だけに素朴だが粗末な感じはしない。

マイリバカの立派な石塔に比べれば見劣りはするかもしれないが、死者を想う気持ちは充分に感じとれた。


一般的に両墓制におけるウメバカはマイリバカの石塔が建立された時点で墓参りすらしなくなるというが、ここでは多くの墓に花が手向けられていた。




片隅には花筒はあるが花の手向けられていない墓もあった。




ビール瓶で囲われた墓。




板で囲われた墓。

ここは新しい埋葬地なのだろう。

土盛りも高くいかにも土葬の頃の墓を彷彿とさせるが、恐らく火葬の焼骨を埋葬したのだと思われる。





水田に浮かぶウメバカとマイリバカ。

何だろう、チョット恰好よくないですか?

日本全国の両墓制の墓地を見てきた私の極私的な印象として本来であればマイリバカの方が篤く扱われるべき筈なのに、何故かウメバカの方が花や供え物が多いように思える。

理屈で言えば死体はケガレなので避けるものであるべき、という考え方からマイリバカが生まれた。

ところが死体がケガレであるという神道的な考え方と同時に人々の間には死んだ者への愛情も並行して存在するのだ。








鳥取県に移動する。

事前のリサーチで大山の北側にある大山町、琴浦町の日本海沿いのエリアが鳥取の両墓制のホットスポットと聞いていたからである。


最初に向かったのは大山町樋口

山陰自動車道の石井インターにほど近い墓だ。

すぐ隣には高速道路があり、車がガンガン走っている。



ところが墓地はこの通り、時間が止まったかのようだ。




この墓地にはいわゆる一般的な墓石がない。

つまりウメバカなのだ。




埋葬地点に目印の石を置く。

ハカジルシだ。

平たい石を水平に置き、細長い石を垂直に置く。そして花筒を刺す。

コレがウメバカの全てである。

ある意味潔さのようなものを感じる。


何ならマイリバカもなくても良いんじゃないか、とすら思えるほど簡潔にして簡素で美しい墓だ。



先程、両墓制は土葬が一般的であった頃の葬制だ、と述べたが、もうひとつ注釈を。

一般庶民が墓石を建立するようになった時期は一般的には江戸時代の中期とされている。

つまり一般の人が墓石が建てるようになった江戸時代中期から土葬が一般的だった昭和中期まで(ここのようにごく一部は現代まで)の間に編み出された葬制といって良いだろう。


言い換えれば、両墓制のウメバカは石塔墓を建てるようになった江戸より前の時代の墓の様式を色濃く残しているのだ。







同じく大山町樋口

先程の墓地より1キロ程東にある。



先程の傾斜地にあった墓地とは打って変わって見晴らしのいい平地に墓地はある。




芝に覆われた墓地はイマドキの公園墓地のようだ。

背後には大山…の一部なのだろうか?




ここもまた水平の石と垂直の石、そして花筒で構成されている。

墓には樒が手向けられていた。

マイリバカがどうなっているかは確認できなかったが、こうやってウメバカにも墓参している事が判る。

しかも頻繁に芝刈りをしているのだろう。


全国的にはウメバカには四十九日を過ぎると墓参はしないケースが多い。

それは死穢を避けるという意味と同時に、あまり墓参したくない雰囲気の墓地が多いからのような気がする。

そりゃあ誰も来ないような鬱蒼とした山の中に積極的に墓参したくないだろう。


ところがここは見晴らしも陽当たりも良いし、車道からも近い。

むしろ行くなと言われても行きたくなってしまうロケーションじゃあないの。


凄く素敵な墓地だ。




お次は大山町羽田井

先程の樋口に比べるとやや内陸部になる。



車道に面した墓地はかなり規模が大きい。

そしてここも広々とした開放的なスペースだ。




手前には六地蔵と五輪塔。

五輪塔はかなり古いものばかりだ。

これがマイリバカなのだろうか?否、多分違うな。




墓の入口には大きな石が。

コレは埋葬の際、棺桶を置いて僧侶が引導を渡す台座だ。

土葬を行っていた墓地にはほぼこのような台座がある。

間違っても腰掛けたりしないように。





墓地に入るには害獣除けの通電柵を越えなければならない。

そんなに高くはないので跨いで入れさせてもらったが、これもまた土葬の際、犬などに掘り返されないための仕掛けなのだろうか?

だとしたら結構最近まで(ひょっとして今でも)土葬が行われていた、という事?




ここもまた平石+立石の組み合わせのハカジルシがほとんどだった。





琴浦町高岡。

勝田川と矢筈川の合流地点にほど近い場所だ。


この辺りの川は何本もあるが源流はほとんど大山付近にある。

要するに大山で生まれた水が様々な川となってこの地域を潤し、日本海に流れていくのだ。



道が判らなくて遠くから眺めただけだが、平石+立石のハカジルシ以外にも角塔婆が確認できた。


近くに天皇水という湧き水があり、行ってみたが、後醍醐天皇が石を動かしたらそこから水が湧いたという伝説が残っている。

水が豊かな土地らしい伝説だ。





で、勝田川沿いに一気に海沿いまで北上し、琴浦町赤碕の街へ。

海沿いにある花見潟墓地へと向かう。



自然発生的に出来た墓地としては日本最大級の墓地だそうな。




墓地の入り口には川原地蔵尊という大きなお地蔵さんが。

高さ4.3メートルで、この地方では最大級という。18世紀半ばの作。





近くには燭台がたくさん並んでいた。

燭台には六地蔵の名前や六道の名前が書かれていた。

いかにも墓地の入口といった雰囲気である。



高台から墓地を見下ろす。



物凄い規模の墓地だ。


2万基以上の墓があるという。



遥かかなたまで墓が続いている。

これは他の両墓制の地域で聞いたハナシなのだが、海沿いに住む人達は海の近くにウメバカを造るのだという。

しかもなるべく波打ち際に。

なぜならウメバカに土葬した遺体があえて台風や高波で洗い流されてしまうように、なのだとか。

本当か嘘か冗談か判らないが、その話を聞いた時、ある意味遺体処理の方法としては合理的な気がした。


ひょっとしたらこの花見潟墓地もその様な理由で成立したのかも知れない。




墓地の一画には丸い石がたくさん積まれていた。



これはウメバカのハカジルシとして使われていた石であることは間違いない。

ということは花見潟墓地は元々は両墓制のウメバカであったと推測できる。




たくさんのハカジルシが積み上げられている。




あれ?仏様の頭も混ざってるぞ。





今では護岸されているがきっと何度も日本海の荒波に晒されてきたことだろう。






花見潟墓地の西側、同じく赤碕の鳴り石の浜に寄ってみた。




この辺りの海岸はごろた石と呼ばれる平たい石が集積している。

先程の花見潟墓地で見かけた丸石もこのような石の中から選んでハカジルシにしていたのだろう。




海岸にはたくさんの積み石が見られた。

別に「ひとつ積んでは母のため~」、的なものではなく、単に平たい石が多いので皆さんどんどん積んでください、ということらしい。




中にはアーティスティックなものもちらほら。

波打ち際に立つと波にもまれた石同士が当たりカラカラと音をたてていた。

よく鳴る→良くなる、のダジャレからパワースポットとして売り出し中らしい。


ちなみにレトロ自販機マニアの間で有名な自販機コーナーもこの浜のすぐ近くである。もうやってないけど。







海岸沿いを西に進み、大山町下甲へ。

ここにも両墓制のウメバカがあると聞いて来たのだが…



何だか鬱蒼としたところだ。

これまで訪れてきたウメバカはどこもあっけらかんとした雰囲気だったので、少し面食らった。

しかも墓地への入口が凄く判りにくいし…。




で、ようやく墓地に辿り着く。

木々の向こうにかすかに海が見える。

ここは海の近くなのだが、海面から10メートル程崖の上の高台になっているので海に面した、という感じではない。



墓はやはり平たい丸石を使用している。

しかし他に比べると使っている石の数が多い


これまで見てきた簡潔で簡素でオープンな墓とは少し雰囲気が違うような気がした。




海の白砂をわざわざ持って来たのだろうか?

この辺の海岸には砂浜などないのだが…。





大山町塩津

甲川の河口近く。

ちなみに先に紹介した樋口や羽田井も甲川の流域にある。



海岸沿いにある小さな墓地。




そこにウメバカと石塔墓が共存していた。

先に述べたように両墓制ではウメバカとマイリバカの二つの墓がある。

この両者の関係性は地方によって様々だ。

例えばウメバカとマイリバカが隣同士にあるケースもあれば全く違う場所にあるケースもある。

ここの墓地などはウメバカとマイリバカが同じ場所に併設されているように思えるが、実際は違うのだ。

多分、ここは元々ウメバカだった墓が火葬の一般化に伴って焼骨の骨壺を納める機能を有した墓に建て替えたのだろう。

つまりステバカから単墓制の墓に変化した
とみるべきであろう。







ウメバカ。

海の目前だけあって平たい丸石がふんだんに使われていた。




集落の外れにある墓地だが、花や樒が手向けられていた。





大山町豊成のウメバカ。



奥に引導を渡す台座が見える。

ハカジルシは立石のみで実にシンプルだ。

あちこち大きめの土盛りが確認できたのでもしかしたら最近まで土葬を行っていたのかも知れない。





海岸の街から一気に内陸部、大山の麓に入る。

大山町鈑戸(たたらど)。

地名から伺えるように製鉄に関連する場所なのだろう。




墓地の入口には古い五輪塔が並んでいた。




さらに埋葬の際に棺を置いた台座もある。




ここは鈑戸の両墓制として町の民俗文化財になっている。

その墓とはこんな感じ。




何というか…

壮絶。という言葉が自然と湧いてきた。




ゴツゴツした岩の塊が無数に点在している。

恐らく、土葬の際に出土した岩を積み上げたものなのだろう。

この墓地のすぐ裏手には鈑戸川という川が流れているが、少なくともこのような大きな岩がゴロゴロしているような川ではない。

あるいは製鉄の際に生じた石を使用したのか、とも思ったが、最近の墓もあるのでそれはないか、と。




比較的最近の墓。






隣にあったこれも新しい墓。

この墓の中では珍しく丸石が使用されていた。

海からわざわざ運んできたのだろうか?

沿岸部で見てきた墓に近いので何となくホッとする。

それほど、ここの墓は異質というかゴツゴツしているのだよ。

墓には白木の野位牌が置かれていた。




これが鈑戸の極標準的な墓。

武骨な印象だ。




この墓の説明板に写真が載っていた。

それによると新しい墓には石の上に祠のような霊屋が乗っている。

これは土葬の墓によく見られたものだ。




以上で山陰の両墓制巡りは終了。

たくさんの墓に触れることでこの地方の人々の死生観を改めて思い知らされ、圧倒されるのであった。




で、大山町、琴浦町の墓地を巡った後の根本的な疑問。

何故この地域に両墓制の墓地が多いのか?


…それは大山の信仰と関係するようだ。

大山は言わずと知れた山岳信仰の山である。


その信仰の中心地である大山寺の僧は両墓制で葬られたのだという。

かつて大山は修験道の行者や僧侶以外の入山が厳しく制限された聖域中の聖域であり、たとえ僧侶でも亡くなったら寺の外に埋葬したのだという。

代わりに寺内に故人を偲ぶ石塔だけを建てた。




その影響で、麓の大山町や琴浦町では両墓制が盛んなのだという。


つまり他の地域の両墓制とは違い、大山の特殊な超聖域性が生み出した信仰事情から発生した葬法なのだ。


いかに大山がこの地方の精神的な支柱になっているのかを痛感しましたよ。





2021.06.
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