マランテの墓/Marante


今日も今日とてトラジャの墓巡り。

毎度おなじみバイタク兄貴に聞くと、「確かマランテに大きな墓があったはず…」というので、早速行ってみることにする。


マランテは宿のあるランテパオから北に位置する村だ。

先に紹介した牛市場のあるボルにも比較的近い。




マランテに向かう途中の小さな部落トンドンTongDongで墓を見つけたので早速寄り道。



田んぼの向こうの岩壁に穴を穿った墓がある様子。

車道にバイクを停め、田んぼのあぜ道を牛に威嚇されながら墓に近づく。怪しい者じゃありませんよお。




近づくと果たしてそこは岩に穴をあけた墓(リアンLianというそうな)だった。

手前には葬式の際に使われる龕がふたつ置かれていた。




頑張れば岩壁を上って岩窟墓に入る事もできそうだった。

しかし不用意に死者の眠りを覚ますのも無粋だろうから下から見るだけにとどめた。




マランテはタナトラジャの中央を流れるサダン川のほとりに位置する村。



近くには吊り橋もあった。



吊り橋はかなり華奢な造りだが、歩いてみると結構しっかりしていて、揺れない限り不安はない…こ、こら。兄貴!わざと揺らすんじゃない!

そして写真を撮ろうとするとすかさずアングルに入ってきてポーズを決めるのはやめてくれないかっ!





近くにはマディソン郡の橋のような屋根付き橋もあった。



さて、マランテの村である。

この村も他のトラジャの村同様、一族が一か所に集まって住んでいる。

従って家という概念が核家族化した現代の日本の家とはかなり異なるのだ。


大家族制、というよりさらに大きな集団で、いわばひとつの集落に近い規模を形成している。

なのでトラジャ(の伝統的住居環境)では「家」と「集落」はほぼ同義と言っていい。


何せたくさん家屋が並んだ「家」(つまり集落)の入り口には生活雑貨や食料を売る店まであるのだ。

同族相手、つまり家族相手に商売するのもどうかと思うが、トラジャでは結構見かけた。



そんな旧家にお邪魔したわけだが、家の奥へと入っていくと早速墓があった。



しかし家の規模に比べて墓の規模が小さい。

これは別にまだ墓があるだろう、と思ったら、その通り。




バイタク兄貴が「こっちこっち!」と山道を降りていく。

這う這うの体でついていくと突然視界が開け、賑やかな声が聞こえてきた。




…学校じゃん!


え?今までバイタクで山道を走り、吊り橋に揺られ(それは兄貴が揺らしたからなのだが)、獣道を歩いた先が学校?

結構秘境チックなところを通ってきたゆえ軽く川口浩探検隊気分に浸ってたのに、まさかの学校ですか。


…まあ、いいですけど。




で、件の墓は学校の真向かいにあった。それはそれで凄いロケーションだ。



巨大な岩が覆いかぶさるようになっている岩陰に墓はある。

ちょうど庇のようになっているので墓自体は雨に濡れることはない。


ここは単なる岩陰のようなところで、奥行きはない。

かつては岩陰に遺体を安置していたのだろうが、現在はその前に家型の墓が建っている。



この墓には2人の女性が安置されている。




遺影と一緒に奉納されているのは菅笠。

死出の旅路の必須アイテムなのだろうか。他でも墓に奉納された菅笠はよく見た。




ちなみに墓が出来ていてもまだ遺体が入っていない墓はこのように雑な感じで塞いである。



ちょっと拝見。



棺桶を置く棚があるだけのシンプル設計。





家型の墓は基本的にコンクリ造だが、中には外壁に木材を使って木造建築風に仕上げているものもある。

もちろん壁材はトラジャの伝統的な紋様やシンボルマークで埋め尽くされている。






墓の周辺には龕がいくつも放置され、それらが崩れてきて、さらに鶏の巣と化してカオス状態になっていた。

それにしてもこれだけ死というものを重要視するのになんでお墓の周りの環境には無頓着なんだろう?






もっとも、日本でも土葬だった頃は、埋葬したら墓にあまり近づかないようにしていた、という話はあちこちで聞いたことがある。

特に埋葬場所と墓石がそれぞれ別の場所にある両墓制の地域では埋葬場所(そこは墓とはいわずサンマイなどと呼ぶ)にはあまり近づかないようにするケースが多い。

日本の場合、死を忌む思想がベースにあるのだろうが、死体を葬式までの何か月間か家の中に置き、ミイラ化した死体を無理矢理起こしてと記念撮影までするといわれるトラジャの人々の死者との濃密な関係性を考えるとやや解せない部分ではある。











岩陰の上部、家形の墓の上の方の岩の窪みにはタウタウ人形の姿が。


人形は数体ごとに固まって奉納されている。



岩に渡した板の上に座るタウタウや




手の平を天に向けて翳すタウタウ、




白化してまるで血の気が引いたかのようなタウタウ人形などがいた。




概ね経年により色は抜け、衣装は朽ち始めている。

奉納されてから結構な年数が経っているのだろう。

死者を偲ぶための人形だからある程度痛んだら塗り替えるなり取り替えるなりすればいいのに…と思ったが、よく考えてみたらこれでいいのだ。

死者を供養するのは精々、子供か孫の代まで。

その後の代の人にしてみれば、知らない人になってしまうわけだ。

だからタウタウ人形は子や孫が生きてる間、そこにあれば良いわけで、それ以降残っていてもあまり意味がないのかもしれない。



そう考えると、日本や東アジアのように人が死んだ後、何年も何十年も追善供養する方が稀なケースなんだよね。




棺桶が腐って落ちて来たら頭蓋骨だけそっと適当な場所に置く。

葬式や墓に全力を注いで先祖を天に送ったことで、遺族の使命は終わるのだろう。


だからこそ墓の周りも雑多だし、タウタウも新調しないのだ。きっと。



ある意味、潔い死生観ではあるな。









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