ケテケスの家と墓/KeteKesu



トラジャの葬式と墓巡り、最初にケテケスという村を紹介しよう。


実はこの村、最初に訪れた場所ではないのだが、トラジャの文化を凝縮したようなトコロなので、まずはそこからハナシを始めさせていただきますよ。




ケテケスはトラジャ観光の拠点、ランテパオの南に位置する小さな村だ。

そこにはトラジャの伝統的な家屋があるので、そこを紹介しつつトラジャ族のアウトラインを紹介していきたい。





トラジャ族はインドネシアの中でも異質な民族で、人類学的にいうと原マライ族というカテゴリーに分類されるのだという。

要は他のインドネシアの民族や同じスラウェシ島に住む他民族と違い、大陸系の稲作民族の末裔なのだという。

確かにトラジャは高地にも関わらず、あちこちに棚田があり、稲作が盛んだ。





この舟を逆さにしたような屋根を持った家屋はトンコナンと呼ばれており、トラジャ族を象徴する建築様式と言えよう。


トラジャの観光ポスターなどは十中八九、ここの写真が使われている。

この両端が反り返った不思議な屋根のカタチは舟を表しているのだという。



トラジャ族の人々は、自分たちの先祖は海の向こうから舟でやってきたと信じている。

その象徴として舟のような家屋に住んでいるのだ。



つまり、自分たちはココではないどこかから来た誇り高き民族なのだ、ということを暗に示しているのだろうな。

その辺の民族的プライドの高さは滞在中諸々感じることはあった。


素材は木材、屋根は細い竹を何重にも重ねてある。







妻側には水牛の彫り物が飾られていて、その上にはトラジャを象徴する模様で埋め尽くされている。

後述するが、水牛はトラジャの人たちにとって特別な存在である。

特に葬儀における水牛の役割はとても重要で、普段の生活の中でも水牛の角は特別な意味を成している。






大屋根を支える親柱には葬式の際に屠った水牛の角がとりつけられている。


恐らく「ウチは葬式の時、こんなに水牛シメてやったぜ!」アピールなのだと思う。


水牛を生贄として屠ることは死者に対しての最高の餞であり、豪華な葬式の象徴でもあるのだ。








さらに伝統的な建物には水牛の下あごが。




ずらりと下顎の骨が並ぶ様はどう見ても異様な光景だ。






さらに見れば切りたての水牛の角が置かれていた。



まだ、血や油も乾いていないようなレア感ムンムンの角であった。

この角も他の角と同じように親柱に掲げられるのだろうか?






このようなトンコナン形式の家屋は現代でも作られている。

時節柄、トタン屋根の屋根が多い。





そんな船形屋根の並ぶエリアから奥に進むと墓がある。




トラジャの墓。





それは船形屋根と同じくらいトラジャの名物であり、この墓にも数名の観光客が訪れていた。



トラジャの墓は大きく分けて3つに分類される。

ひとつは独立した小屋のような廟。これは比較的最近作られたものが多い。

もうひとつは崖に四角い横穴を穿った墓。

そして最後にここのように鍾乳洞の洞窟や岩壁の浅いく窪みなどに棺桶を置く墓。


ここ、ケテケスの墓は岩壁の窪みや洞窟に埋葬するタイプの墓である。




ちなみに上写真の真ん中にいる青シャツの兄貴はトラジャ滞在中に何度か世話になったバイタクの運転手。

頼まれもしないのにいちいちカメラの前でポーズをとりたがるのが玉に瑕だが、いや、それだけは是非やめてもらいたいのだが、それ以外は面白い奴で、英語も堪能で、こっちの要望を察する勘が良く(←コレ大事)、地元の人にも顔が効く優秀なドライバーだった。






で、お墓である。



棺桶が並んで安置されている。

どれも蓋の両端がせり上がっている。勿論家屋の屋根と一緒で舟を象ったものだ。






水牛の形の棺桶。これはかなり凝っている細工なので金持ちが発注した棺桶と思われる。




棺桶は木製なので数年間風雨に晒されると腐食してくる。




当然中身の骨もこんな感じにビャーっと散らばってしまう。



あまりにも明け透けで、最初は少し驚いていたが、1日もすれば慣れてしまい、まあこんなものか、と思うようになりました…。





棺桶は崖の上に吊るされて安置される場合もある。


これはトラジャの人独自の考え方で、遺体を安置するのは空に近い方が良いのだそうな。

この後紹介する墓全てそうだが、トラジャ族の人々は土の中に埋葬するということはないのだという。

土の中は不浄であり、一方、岩の中、しかも天に近い岩壁の中は墓としては理想的なのだそうな。









こちらの棺桶には頭蓋骨が並べられていた。

この棺桶に何人もの遺体が収められていたわけではなく、上の方の棺桶が腐食して中身の遺骨が落ちてくると頭蓋骨だけを拾い上げて並べておくのだという。




誰のか判らないけど頭蓋骨だけは地べたに転がしておくのは忍びない、という感覚なのだろう。








いわゆる風葬に近い状態なのだが、想像していた以上に遺骨の状態は綺麗だ。



もっと肉がびちゃびちゃに付いているものかと思ったのだが、綺麗な白骨になっている。

風葬というものはかように遺体を綺麗に白骨化させるものなのだろうか。




私は日本で何度か土葬されていた骨を掘り起こしたのを見たことがあるが、こんなに綺麗じゃなかったなあ。

中には大正時代の骨なのに髪や肉が残っていたりして難儀したこともある。


土葬と風葬は違うんだろうなあ。





このように綺麗に白骨化するのにはどのくらいの時間がかかるのだろう。

もしかしたら洗骨をしているのだろうか。






崖の上の棺桶のいくつかは崩落寸前だ。

まあ、崩落したからといって、彼らにしてみたらそんなに大きな問題じゃあないんだろうけどね。





そんな中、岩壁を穿った穴に鉄格子が嵌められている場所を発見。




中を覗いて見てのけぞりそうになった!



大量の木彫りの人形がこちらを見ているんだもの!




これらはタウタウといって死者に似せて作った人形なのだという。



勿論死者供養のための人形なのだが、チョット怖い…。


薄暗い洞窟に密集する人形の姿は恐怖以外の何者でもないが、彼らにしてみれば、至極真っ当な奉納習俗で、コレをしないとご先祖様も成仏できないっしょ、的な感じなのだ。

ま、彼らは成仏とは言わないけどね。





岩壁の墓を過ぎるとそこには洞窟があった。



入口には最近死んだ人のいわゆる花輪が並んでいた。




中に入るとこんな感じ。





あちこちに供え物が散乱している。





故人の写真や遺品が、十字架などが奉納されていて生々しい。



ちなみにトラジャ族の人々は現在ほとんどがキリスト教徒だ。

キリスト教化される経緯は後ほど述べるとしよう。





洞窟の中央にはまるで入ってくる人間を監視するかのように頭蓋骨が並んでいる。

よそ見していると躓きそうになるので要注意だ。






洞窟はさらに先まで続いている。

枝道の上には棺桶が重なって安置されていた。



棺桶や架けられた布の状態からして、ここに置かれてからそんなに時間が経っているようには見えない。

精々数年といったところか。



さらに洞窟の奥に進んでみる。



ライトで照らしてみると岩に様々なメッセージが刻まれている。


死者へのメッセージなのか単なるいたずら書きなのかは判りませんでした。



しばらく進むと洞窟はどんどん狭くなってくる。

まだまだ洞窟は続きそうだが、もうこの先は何もないだろうなあ、と思って振り返った瞬間…



目の前に頭蓋骨があるじゃないか!

怖っ!こんな奥の奥にまで遺体を運んできたのか!凄い執念だ。




洞窟墓地の近くには最近作られた墓もある。



コレは棺桶のカタチを模した墓。



タウタウ人形が飾られている。




中にはトンコナンを模した墓も。



近年作られた墓は様々なデザインのものがある。

ちなみにトンコナンの中にある円筒状のモノも棺桶の形を模したものだ。



比較的オーソドックスな墓はこんな感じ。



ガラスケースにはタウタウ人形が収まっている。



タウタウ人形は専門の人形師がいるのだが、近年作られたタウタウは妙にリアルで、人形だと解っていてもギョッとしてしまうのだ。






トンコナンの並ぶエリアの隣には広場がある。




その一画には大きな自然石が建てられていた。

これらは葬式を一回やるごとに建てるのだという。


墓石とは違い、どちらかというと葬式の記念碑のようなものらしい。



それだけトラジャでは葬式が特別な意味を持っているといえよう。






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