徳島在住の日本すきま漫遊記のへりおすさんと合流し、徳島市から南へ南へとある寺(察しの良い方ならどこだか判りますよね)へと向かう。
道中、阿南市の平等寺に寄ってみた。まあ、二人とも目的地に直行出来るタチじゃないもんですから。
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横長の建物の中にズラッと十王像が並ぶ。そしてお堂の右側だけは別部屋になっており(引き戸が嵌められている部分)、そこにはなぜか大量のお地蔵さんのミニチュアがうずたかく積まれていた。
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いざり車といえば昔の足の不自由な方が使っていた車椅子の原型のようなもので一般的には台車のような形状だが、ここのはお遍路さん仕様。
屋根が付いていてまるで小さな家のようないでたちだ。
そのようないざり車が3台も奉納されているということは、交通事情の悪い昔から相当の数のいざり車が遍路道を走行していたという事なのだろうか。
松葉杖や義足、ギブスやコルセットが奉納されているのはたま〜に見かけるが、さすがにコレだけ大掛かりないざり車が3台も奉納してあるところは初めて見た。
今ではバスや自動車でお気楽に廻れるが、かつては死に行く覚悟で廻った四国八十八カ所巡礼。
そのハードな行程をこの小屋のようないざり車に乗って巡礼していた姿を想像するだけで身も震える。
四国遍路に駆ける想いの壮絶さたるや、お気楽に車でぶぴゃ〜っと来てちゃっちゃっと参拝しているワタシなんぞ申し訳なさ炸裂である。
例えばこの寺ひとつにしたって本堂に辿り着くまでに上記の階段を登らねばならないのだから。
・・・このいざり車、足腰が治って必要がなくなって奉納されたものなのか、それとも満願を果たす事なくこの小さな小屋の中で亡くなった者への供養なのか・・・
頼むから前者であってくれ!
かなり変わったカタチの塔だとは思うが、かといって屋根だけがぐるぐる回ったり、時間で上下したりする訳ではないし、見たところ最近建てられたような塔なので過大な期待は慎みつつ、でも少しだけ期待しつつ境内に入る。
境内には厄を落す厄除坂がある。
この階段の一段一段に賽銭を置いていく事で厄を落すのだという。
階段に置かれている小銭を見ると思わず拾いたくなってしまう自分の貧乏性に気付き、かなり悲しい思いをした。
それにしてもこのお賽銭、どうやって回収するんでしょう?
一個一個拾っていたら腰を悪くしそうだし、やっぱり上からホウキでガバーっと掃いちゃうんでしょうか。皆さんが落していった厄を。
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比較的新しい建物なのですっきりめの戒壇巡りだったが、そもそも戒壇巡りがあるとは予想していなかったので何だか得した気分である。
ああ、そんなところも貧乏性・・・
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