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どうも単なるお寺だけじゃないようだ。観音寺(看板では善光寺大本願別院と記されている)を中心に珍寺メガミックス地帯の様相を呈している。
嫌が上にも期待値が高まり放題高まりつつ、曲がりくねった山道を登っていくと朱塗りの立派な本堂が見えてくる。観音寺本堂である。
案内図にあった城山史跡公園以外は全てこの観音寺に隣接しており、かなり良いオーラがぎゅっと濃縮されている。
では早速観音寺に御挨拶と行きましょう。
階段を登り、本堂に近付いていくと、外見の渋さとは裏腹に昭和40年に出来たという高度経済成長期の香りプンプンの鉄筋コンクリ寺院。
正面でお賽銭を投げつつ上を見上げると屋根組みの鉄骨トラスが丸見えでした・・・
気を取り直して本堂脇の受付へ。内陣の参拝には料金を支払う。
見れば向いの日本歴史館の入場料とのセット料金がある。うむ〜。お寺が歴史館を経営しているのだろうか。
それにしても歴史博物館ならともかく歴史館って何だ?歴史を会得する館って事?
様々な疑問を持ちつつ、とりあえず本堂の中に入る。
ここは善光寺大本願別院というネーミングのごとく長野の善光寺の御墨付きの別院だそうな。
ここを管理している方のハナシでは毎年夏の祭の時期には長野善光寺の偉いお坊さんが来るそうだ。
そして善光寺といえば戒壇巡り。勿論善光寺直系のこちらにも内陣の両サイドに階段がある。さっすが。
階段を降りるとそこは真っ暗な戒壇巡り・・・ではなく宝物殿という名の展示スペースになっていた。
信徒の寄贈した百体観音や大きな数珠、仏教説話をモチーフにした絵画、書、落慶祈念の趣意書などなどが薄暗い推定30ワットの蛍光灯に照らされていた。
この寺に興味がありまくりの人にとってはまさに宝物殿・・・なんだと思う。
部外者である私にはチンプンカンプンだったが、それはひとえに私の修業が足りないのでしょう。
宝物殿をぐるりと一回りして上に上がる。むむむ。最初に降りた階段を登って来てしまったぞ。
戒壇巡りといえば入口とは逆サイドにある出口から出てくるのが世の定説。
入口から入って真っ暗な通路を通って大師さんと縁を結び、出口から出てくる時には生まれ変わって澄んだ目で出てくる、というのが基本的なコンセプトだと思っていたのだが・・・いいのか。
結局、本堂下の宝物殿をぐるりと一周してしまうと出口と目される内陣右サイドからは出られないのだ。
とりあえず善光寺っぽく内陣の左右にそれぞれ出入口を設けたものの、ついついぐるりと一周する通路にしてしまったため出入口が一カ所で済んでしまう塩梅になってしまったのだ。
そんなゆるさがここの寺を象徴していて私は大好きです。
本堂を出ると道の向かいにある日本歴史館の扉がギギギィ〜っと開いた。
午前中とはいえ私が最初の客って事?お邪魔しますよ。
しーんとした館内には神武天皇から始まって昭和天皇まで歴代天皇の肖像画がずらずらずら〜っと並んでいた。
全て同じ画家が描いたものだが、明治天皇以前の天皇の肖像画って何を見て描いたんだろう・・・
それ以上に衝撃的だったのが初代から何代目かまでの天皇はみんな没年が130才以上だった事。
・・・ってゆーか、何なんだ、この施設?一体何の目的が?
この歴史館が開館したのが昭和44年。
その数年前の昭和39年に戸倉に昭和天皇がりんご畑の消毒を見に来たというから、それを記念して造られたのかも知れない。
隣の部屋には昭和天皇来訪時に使用された菊の紋入りの椅子などが展示されており、その椅子の上には今上天皇皇后の肖像画が掲げられていた。
展示は以上である。
これを安いと見るか高いと見るかは何とも言えないが、個人的にはこの時間が止まったかのような不思議な空間は見ておいて損はないと思った。
ちなみに館内は撮影禁止でした。撮るものも特にないんですけどね。
さてさて。
歴史館を出ると下の階にも何やらありそうだ。
金の観音像やナゾの石仏が置かれていて怪しげな雰囲気ムンムン。
看板を見てビックリ!
何と歴史館の下の階はあの仏像千本ノック状態でおなじみ、私が敬愛してやまない八王子の雲龍寺の別院だったのだ!
歴史館のおばちゃんに話を聞くと、この建物、以前は温泉ホテルだったのだが経営難で潰れてしまい、数年前に八王子の雲龍寺が1階から4階を買い取ったのだそうな。
つまりお隣の観音寺とは全く別の寺で、関係ないそうな。
ん?ん?ん?
1階から4階って?
裏にまわって納得。崖に面した建物だったんですね。
雲龍寺の住職も以前は良く来ていたのだそうだが、最近は高齢の為、めったに姿を見せないそうだ。
内部はすでに半分物置きになってしまっている。
雲龍寺の経営している老人ホームから引き上げて来たと思われるベッドがお地蔵さんの後ろに並んでいたりして激シュールな光景が展開されていてかなりイイ感じに仕上がっている。
建物の外にも中国製の石仏などが放置されていた。
こっちに移動して少しは八王子の方も片付いたんでしょうか。
奥まった所の空き地に何体かのブロンズ像らしきものが並んでいた。
あ、これが看板に書いてあった雲龍寺公園かあ。・・・公園ねえ・・・
仁王像の先にいる三人の全身像。
それは・・・
日本再建ノ恩人 占領総司令官 諾楽摩訶薩(ダグラスマッカサーと読むのだよ)元帥
日本救民ノ恩人 中華民国総統 蒋中正公
日本四島独立ノ恩人 桑港(サンフランシスコ)平和会議翠蘭華(スリランカ)代表 謝得和留天寧(ジャエワルテネ)大統領
の御三方。そんな無理に漢字をあてなくても・・・
この御三方は八王子の雲龍寺にもいましたぞ!
というか排ガスむんむんの八王子から空気のいい長野に御引っ越しですか?
と思って昔の八王子の雲龍寺の写真を引っぱりだして見てみると、どうやらもう一体づつ作ったみたい・・・
どんな人物なのかはここで説明すると長くなるので各自歴史の教科書などで調べていただくとして、どうやら終戦の時期のこの御三方の行動にかなり思い入れが強いようだ。
さしずめ雲龍寺の三尊像といったところなのだろうか。
特に諾楽摩訶薩(しつこいようだがダグラスマッカサーです)像などは厚木空港に降り立ったポーズでタラップまで作り込んである親切設計。これなら誰が見ても分かりますね。
と思えば何故か終戦とは関係のない馬に乗る足利尊氏の像まで。うむー。傾向と対策が難しすぎ。
さらに気になるのは、この日本を救った(とされる)三人プラス足利尊氏像の他にあるもうひとつの台座。
その台座には上に乗るべき主がおらず空座となっていた。
・・・この先、どなたか鎮座される予定なのでしょうか。
それぞれ別の寺とはいえ奇しくも皇室と終戦期の偉人を祀った寺が同居しており、その濃いパワーは2倍ならぬ2乗。
昭和の香りプンプンの濃ゆ〜い珍寺でした。
観音寺の裏手には男女和合の神様がおわす澳津神社。
内容は・・・御想像におまかせします。多分、御想像の通りです。
おまけ
戸倉上山田温泉から聖高原に向かう山の中で見かけた不思議な光景。
遠目に見ても明らかに変。
さらに近付くと傘や廃材を使っていると判明。
何もない山中でいきなり出くわした色の洪水、白昼夢のようだった。
最初は鳥除けのために吊るしてあるのかと思ったのだが、どうやら「アート」として「展示」してるみたい。
↓手足が赤塗りのペットボトル
流木なのだろうか。
あまりにも出来過ぎな造型である。
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