立派な凱旋門を潜るとそこには驚愕の光景が繰り広げられていた。一体ナンだこりゃ!? ・・・ここは勿論パリではない。姫路市にある太陽公園だ。 隣では東洋大姫路高校の球児達が沸騰寸前の熱い汗を流しているのどかな郊外にひっそりと、しかしこってりと存在している。 何故に姫路に凱旋門?という疑問は門をくぐった瞬間に全く意味を成さなくなる。 ・・・だってこんなんですから。 イースター島のモアイ像、マチュピチュの空中都市など、古今東西の遺跡や建築が脈絡なく詰め込まれた公園だったのだ。 とはいえリトルワールドやワールドスクェアといった大規模テーマパークではない。いや、規模は充分にテーマパークといって差し支えないと思う。 しかし、そんじょそこらのテーマパークでは味わえない濃い世界が繰り広げられているのだ。 遊歩道沿いに次から次へと出現する中南米の石像。 ほとんど間を置かず石像が並ぶ様はこの施設の前のめり気味なパラダイス感を如実に表わしている。 ここは福祉施設が運営している公園で、隣には心身障害者の福祉施設が建っていて、そこから歌声が聞こえて来る。 管理や掃除もその福祉施設の入所者がおこなっているそうだ。 入口で貰ったパンフには「石の文化と歴史・新しい福祉を創造する」と銘打ってあった。これは新たなるユートピアの創造なのだろうか。 障害者の社会参画施設といえば一般的には清く貧しく的な施設をどうしても想像してしまいがちだが、ここは超ゴージャス。何たって入口が凱旋門ですから。 税金を使った施設ならば「贅沢施設だ!」とかいって猪瀬直樹氏が激怒しそうだが、私立の施設なので贅沢上等。大いに豪勢にやっていただきたい。 ただし、職場としてはかなり広大なので修繕とか掃除とか大変そうだが、頑張って下さい。 創設は平成4年。 見ているだけでアンモニア臭が立ちこめてきそうな小便小僧の乱れ打ち。 自由の女神とマーライオンはもっちろんスタメン入りですね。 さて、そうこうしているウチに韓国の石灯籠が立ち並ぶエリアが。背後には老人ホームがある。 さらに歩を進めると兵馬俑博物館なる建物がある。 体育館のような建物の中には無数の兵馬俑が並んでいる。ちなみに上の写真は全体の3分の1です。これと同じユニットがあとふたつあるんです。 全部で千体あるそうな。全部チャイナメイド。ってゆーか兵馬俑だけでなくここの石像はほとんどチャイナメイドとお見受けいたしました。 さらに殿堂入り出来なかった兵馬俑が屋外に溢れている。そこまでしなくても・・・ 何故これほどまでに兵馬俑に入れ込むのかが良く判らないが、かなりの執着っぷりである。 で、門を潜るとそこは万里の長城。まだいるぞ兵馬俑。2、3人でかたまって何やら世間話でもしているかの御様子。 で、兵馬俑エリアを抜けると池があり、その向こうにはポリネシア〜ンな家屋が並ぶ。 ここで道は二股に別れる。何だか訳が判らなくなって来たが、毒を食らわば皿まで、の精神でポリネシア〜ンなエリアに突き進む。 これはヤップ島の家屋を復元したものだが、ヤップ島といえば石貨。ここでは世界中のコインが巨大化&石化してます。 屋根が特徴的な建物にはそれぞれ御利益が書かれた香炉(賽銭箱だったかも)がある・・・あ、日本語だ。 あのう・・・どう考えてもこの状況で御利益は「金運」しかないと思うんですけど・・・ 勿論日本のコインも御覧の通り。 ポリネシアンエリアを過ぎると段々仏教色が強くなって来る。大きな石の観音像やガンダーラ仏のつもりなのだろうか、仏頭が並んでいたりする。 その内小さなお堂が次から次へと現れてきた。中を見ればそれぞれ仏像が祀られている。正確な数は数えなかったが一軒一軒が立派だったので結構見応えがあった。 でも、油断してるとピラミッド。 周辺にはミニピラミッドも点在している。いや、一番大きいピラミッドがすでにミニサイズなのだが。 内部にはガラスのピラミッド状のケースにツタンカーメンの仮面みたいなものが飾られていた。ま、ガラーンとしてるっつー事ですわ。 この辺りでめくるめく石像群にかなりお腹が一杯になって来るが、当サイト的にはここからが本題である事をお断りしておく。 山の斜面を埋め尽くすがごとくズラズラズラ〜っと並ぶ羅漢像が登場するのだ。 どうですか、この勢い。上からダイブしても羅漢さんが受け止めてくれそうな密集っぷり。 石仏の森を彷佛とさせる規模。一体一体の大きさも似ている。 もしかして羅漢兄弟? 「後ろのこの人が騒がしいようだが、ワシは後ろ向けないんじゃ。石じゃけんのぉ!」 さて、羅漢さんの大群の奥には立派なお堂が建っている。 これはどこぞの有名寺院のレプリカ、という訳ではなく、元々この付近にあった鶏足寺という寺を復興させたものだという。 何でも敏達10(581)年創建で、天正6(1578)年に火災で消失した寺だったという。ここからも程近い超名刹、西国27番札所の書写山円教寺を凌ぐ寺勢だったという。円教寺を凌ぐといったらそれは兵庫県有数の名刹ということにもなろうが、ホントかなあ〜。 この太陽公園全体が鶏足寺だとしたらそれはそれで関西屈指の超珍寺と云っても良いかも知れない。しかし鶏足寺はあくまでもこの公園の一部分みたいな感じ。 本堂は開いてなかったので中の様子を伺い知る事は出来なかったが、観光用アトラクションとしての飾り物の寺ではなく、信仰のためのきちんとした寺だったようだ。ここも福祉施設の入所者が使うのだろうか?宗派は不明。もしかしたら公園の性格上宗派問わずのグローバル寺院かもしれない。 本堂前からの眺め。羅漢像の向こうには紫禁城、その向こうには双塔寺のツインタワーが見える。これらは先程二股にわかれた道のもう一方の方にある。 早速行ってみましょう。 で、天安門広場である。先程の万里の長城はこっちにずーっと繋がっていた。 天安門広場の前には何故か巨大ハニワが。高さは7〜8メートルはあったと思うが、なにせ周りがどこもかしこもスケールでか過ぎなのであまり大きく見えないところが悲しい。こじんまりした寺とかにあったら相当インパクトがあると思うのだが。 この天安門とハニワの組み合わせが強烈でした。 で、天安門広場の裏手にはまだ延々と万里の長城が続いている。 万里の長城の看板があった。「完成 平成14年9月29日 全長12km 現在約2.0km」とある。 全長12キロですかあ。男っぽい夢ですなあ。って、平成14年ってもう過ぎてるんですけど・・・ 紫禁城と双塔寺のツーショット。一体自分がどこにいるのかも判らなくなってくる。 双塔寺の塔のホンモノは13層で54.7メートル。ここの塔はその半分くらいだろうか。それでも充分立派な塔である。外見は。 内部はコンクリ打ちっぱなしでガラーンとしていたがハシゴが架かっており、一番上まで行けた・・・みたいです。行かなかったけど。 さて、いよいよ太陽公園最終解脱ステージの磨崖仏である。インドの磨崖仏を模したようだが、インドのどこの磨崖仏を模したのかは不明。 それにしても巨大な磨崖仏だ。サッカーのポジションでいえばゴールキーパー。まさに太陽公園の守護神である。 こればっかりは中国で作って・・・という訳にはいかなかっただろう。かなりの力作である。 今さら「何で公園にこんな大きな磨崖仏が?」とか言わないように。私も判らないんですから。 斜面系大磨崖仏のお楽しみといえば大仏登山。身体の部分をよじ登って顔まで行ってみよう!と思ったが、意外とハードで膝の上によじ登るのが精一杯でした。公園内の最深部にあるだけあって、中々寄せ付けません。 古今東西の有名石像や建築をこれだけ集めるとどうしても散漫な感じになってしまいがちだが、ここの太陽公園はその多様な展示の底に一本筋が通っている印象を受けた。 それは新たなユートピア建設という創設者の夢が前面に押し出されているからではなかろうか。 そういえば天安門広場の入口に「共に太陽の愛を」と刻まれた記念碑があった。 ちなみにこの日は5月とは思えないほどの気温。強烈な太陽の愛に照らされた1日だった。
2005.5.
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