長洲の精霊送り/大分県宇佐市
皆さん、お盆は如何お過ごしでしたでしょうか? 中には御実家に帰って御先祖様の仏壇に線香をあげ、お盆の最終日には送り火を炊いたりした方もあったと思いますが、そのハイパーゴージャス版が大分県の宇佐市にあるのです・・・ そのゴージャス送り火は長洲の精霊送りとよばれている。 一般的には精霊送りといえば川にロウソクを灯した船や行灯を流したりしてそれはそれは情緒的な行事だったりするのだが、ここの精霊送りったら御殿灯籠という豪華絢爛な祭壇を担いだ行列が町中を練り歩き、最後には墓地で燃やしてしまうという九州男児魂丸出しの豪快すぎる送り盆の行事なのである。 この宇佐の精霊送りは長崎の精霊流しと並ぶ九州の二大盆行事といわれているらしい。 ・・・しかし「九州二大」と謳っている割には九州はおろか大分県内でさえも知名度はイマイチのようだ。 行われているのも宇佐市全域というわけではなく、海沿いの長洲と呼ばれる地区だけなので長洲の精霊送りと呼ばれている。 で、件の長洲地区に足を踏み入れると・・・ 早速ありました。第一御殿灯籠発見。 素晴らしいの一言に尽きる。 想像以上のゴージャスさ大きさ、これを燃やしてしまうのか?いや、一部だけを燃やすのだろう(希望的観測)。 広島の耕三寺を彷佛とさせる金の縁取りが眩しい堂宇のミニチュアがところ狭しと並んでいる。 背後には山や空の書き割りが造られていて箱庭極楽浄土状態である。 この御殿灯籠は新盆の家で8月の始め頃、仏間に飾り、こうして送り盆の日に外に出して竹を組んで神輿のような状態にするのだ。 あまりの感動と暑さにクラクラしながらも次の御殿灯籠発見。 ここのものも先程とほとんど同じような造りだ。 聞くところによると、以前は各家庭で家の人が小枝や小石を拾って来てセルフメイドで作っていたのだが、近年はほとんど御殿灯籠作りの業者に発注するらしい。しかも業者は現在一軒か二軒程なのでどうしても同じような形になってしまうそうだ。 五重塔、日光陽明門、法隆寺夢殿風の建物がごっちゃごちゃに詰まっている。 軒下の垂木などもきちんとあり、豪華にして緻密な仕上がりとなっている。 それでも細かいディテールには各戸とも工夫を凝らしている。紙細工の人形や電飾などを施し、オリジナリティの追求に余念がない。 灯籠下中央部にはこの箱庭浄土の地下世界のように小さな小部屋がある。 ここには故人の遺影を飾るのだが上右写真のようにちょっとしたワンポイント主張コーナーにもなっている。 ココの家の場合は平等院鳳凰堂なんでしょうなあ。かくして御殿灯籠自体が日本寺院建築のミニチュアフェイク天国となっているのだ。 中央にはお地蔵さん。この造形感覚がたまらない。 仏間から外に出して一族皆さんで記念写真。そりゃあ写真に留めておきたくなる気持ちは大いに判ります。判ります。 この数時間後、この豪華絢爛な御殿灯籠は灰になってしまうのだ。いや、一部だけを燃やすのだろう(希望的観測)。 長洲の人達の間では「借金してでもいい御殿灯籠を出せ」といわれているらしい。 また、かつては仏間から灯籠を外に出した際に若い衆を呼んで場を盛り上げるために踊りをしたそうだ。現在では踊りは禁止されている。新盆の各家庭には「未成年者にアルコールは出さない事」などとお達しの紙が貼られていたのをみると往年はかなり派手にやっちゃってたみたいですね。 灯籠の建物の間に紙で作った滝を発見。しかも電動で動くぞ。 裏に回ってみると動力は扇風機を改造したものでした・・・
行列は先頭に提灯、次に西方丸と書かれた帆を張った供物を満載した船。次に太鼓や歌のサウンドシステム係、で、御殿灯籠。最後は供え物の花や担ぎ手の人達に出す飲み物などを積んだリヤカー、ってな順番である。 行列に参加するのは親類なのだろうか。皆、同じ色のタオルを首に巻いている。 印象的だったのは太鼓のテンテケという音に合わせて歌われる御詠歌というかお囃子というか、何とも言えないサウンド。 太鼓、謡い手が数人揃っているところもあればラジカセを担いで流しているだけのところもあったが、どの行列からもこの単調なサウンドが流れている。 炎天下にこのテンテケテン・・・という激ゆっる〜いサウンドに乗って絞り出される親爺衆のしっぶい謡いを延々延々聞き続けていると段々精神状態がミニマルになってきて、頭の中が段々炭化して真っ白になってきます・・・ 行列が各辻から墓地への道へ合流して来てラッシュアワーの様相を呈している。その度に行列はひと休みし、ビールを飲んでいるので段々担ぎ手のテンションも上がってくる。 中には担ぎ手がいなかったのかトラックに乗せた御殿灯籠や七夕飾り風のものもあった。その他生前に獲得したトロフィー(何のトロフィーかは不明)をこれ見よがしに並べている御殿灯籠などもあって見ていて飽きない。
そうこうしている内に墓地に到着。あちこちから火の手が上がっていてクライマックスを迎えている。どの墓地も非常に広いのはこの日、この時のためなのであろう。それでも狭い通路の墓地などに辿り着くには結構大変そうでした・・・
・・・などと思う間もなく次々と解体されていく御殿灯籠。 ああ、五重塔が東照宮がああ〜〜〜
何度「燃やすくらいなら俺にくれ〜!」と叫ぼうとしたことだろう。 一基数十万から百万円はするというゴージャスな極楽浄土の消滅。でも親爺様は動じる事なく謡い続けている・・・ と、そこにバットが持ち込まれた。 ああ、きっと故人が野球好きだったので生前使っていたバットも一緒にお焚き上げするんだなあ・・・と、思った瞬間! バキッ!ボコッ! 御殿灯籠をバットでさらにギッタンギッタンに壊してました・・・ 皆、酒が入っているせいか、物凄く楽しそうでした。 かくして豪華なプチ極楽浄土は二つ折りにされ、四つ折りにされ、単なる派手な粗大ゴミ状態と化してしまった頃、またしても「よ〜し、この辺で良いだろう」の声。 すると元御殿灯籠に火がつけられあっという間に炎の塊と化した。 墓地到着からここまで一体どの位の時間だったのだろう。 行列の時間に比べたらあまりにも突然のカタルシスだったように思える。 もくもくと立ち上る黒煙。「燃えろ!燃えろお〜!」と絶叫する若い衆。後ろを見れば次から次へと他の御殿灯籠が運び込まれてくる。 そしてあちこちから聞こえてくる和風ポンチャックサウンド。 最早そこには故人の追悼とか供養という概念があるのかどうかすらも良く判らないハイな状態になっている。 私も炎天下の中、次から次へと起こる予想外の出来事に完全に思考停止状態。 たったひとつ頭の中に浮かんだコトバは「ダイオキシン・・・」 この供養形態はそのアグレッシブさにおいて確かに九州二大盆行事の名にふさわしいかもしれない。 激しい!激しすぎるぞ! 狂騒から逃れるように墓地の近くの浜に出てみた。そこには先程の行列にあった船が流されている。 ・・・といっても干潟のような海なので冥土まで届くかどうかは微妙な船出である。 なかなか沖に行かない船を覗き込んだ人が一言 「あ、他所のウチの船はメロン積んでるど!」 ・・・借金してでも御殿灯籠かあ〜・・・ 何なんでしょうか、この熱い情熱。
今回の取材においては大分のCONKA誌編集部の方々の絶大なるサポートを頂きました。この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。 CONKAのウェブページはこちら。
2003.8.
珍寺大道場 HOME