祝!
百観音もビビる「珍寺大道場」100タイトル達成記念!
真夏の大仏スペッシャル企画!
大仏銀座!小岱山
荒尾大師/熊本県荒尾市
蓮華院誕生寺奥の院/熊本県玉名市
大釈迦座像/熊本県玉名市
・・・と言う訳で熊本である。
阿蘇山を引き合いに出すまでもなく、豪快で雄大なお土地柄である。つまり「いっちょ大仏でも作ってみっか」という気概に溢れた人達も多いはずである。
中でも熊本県荒尾市と玉名市の境に位置する小岱山はその麓に3体の大仏を従えるという大仏多発地帯であり、全国的にはいざ知らず、私の中では勇名を馳せている。
以下それぞれ工法も大仏さんのモチーフも建立の理由も異なる3つの大仏を紹介しよう。
ひとくちに大仏といっても色々な大仏がある、という事に気付いていただけたら幸いである。
荒尾大師/熊本県荒尾市
まずは小岱山の西の麓の高台にある荒尾大師。弘法大師の座像である。高さは建物込で20メートル。座像自体の高さは15〜6メートルといったところか。
コンクリート造のお堂の上にどっしりと構える大師像。その姿は五鈷杵を持つ右手あたりにデッサンの苦しさを感じさせるが他はなかなか立派なものである。この大師像を造ったお方、この寺の開祖でもある。氏の奥さんに話を伺う事ができた。以下その話から。
氏は戦後この地に移り住み、現在の寺域を一から開拓し最後の総仕上げにこの大師像を自らの手で昭和37〜48年の11年間かけて作り上げたとの事である。この大師像の開眼後氏は力尽きた様に亡くなる。
「自分が生きた証しとして何か形に残るものを作りたかった」という氏の夢はこうして実現したのだ。
この大師像は氏の半生をかけた大事業だったのである。しかも右手が利かなくなり左手で直にコンクリートを擦り付けていたという壮絶な製作だったそうである。現在は白く修復されているが以前はその手の跡が残るコンクリートむき出しの像だったそうである。
日頃、こういった人情話には興味のないワタシだがこの時はそのあまりにも壮絶な製作風景に思いを馳せずにはいられなかった。
台座の中にも一癖も二癖もある仏像が祀られている。特に中央の大師像は堂内のスケール感を無視した異様な大きさの像であった。これらもまた氏の作成した像なのだろうか。右手、変だもん。
蓮華院誕生寺奥の院/熊本県玉名市
お次は小岱山山中にある蓮華院誕生寺奥の院である。
法然さんのお師匠さんの皇円上人の産まれた寺である。皇円上人といえば以前紹介した五色園で竜の上に乗っかって池から登場するというスゴイ人である。で、その伝説の池があるといわれるのがこれまた以前紹介した応声教院。知らず知らずの内に皇円上人ゆかりの地を巡り歩いていたとは・・・珍寺巡り恐るべし。
ここは大仏よりもその手前の日本一の五重塔と日本一の梵鐘で地元では有名な寺だ。珍しい石の円形の山門を潜るとドーンと五重塔が見えてくる。で、その手前に日本一の大梵鐘。丁度鐘を突くところだったので見物させてもらう。
直径2.88メートル高さ4.55メートル、重さは37.5トンだそうです。
次に現れるは仁王門。ここの仁王様と門は九州第二の大きさだそうで。大きさを日本何位とか九州何位とかやけにランクを付けたがる姿勢がどうも鼻に付く。
で、日本一の五重塔である。先日も日本一の五重塔を北海道で見たような気がするが、細かい事は忘れよう。 登らせてもらってこういうのもナンだが、内部はコンクリート造のひねりもなんにもない造り。最上階には「なで仏」が祀られているので折角だから全身くまなく撫でさせてもらいました。
で、大仏。皇円上人の座像で大きさは13メートル。平成元年完成。あまり面白味のない大仏である。どうせなら五重塔みたく日本一の大きさを目指してくれれば良かったのに。
大仏さんの奥で厄払いの皿投げをしてきた。おっ、これって厄払いだから願いごととか書いちゃいけないのか?ま、いいや。
最後に登場する大仏は小岱山南麓にある大釈迦座像といわれる大仏さんである。
実はこの大仏さんの存在を知ったのは玉名市の観光パンフレットだった。
パンフのいい加減な地図のお陰で、何度か遭難しそうになりながら山間の棚田の細い畦道をヒーヒー歩いて行き、ようやく森の中にある小岱山釈迦院に着いた。
ここは無住の霊場巡りのようなところでいきなりこんな寝釈迦像が現れたりしてかなりビビったりする。
で、仏像が並ぶ無人の山中を歩いていくと一番奥に目指す大釈迦座像がある。
総長さ38.5メートル、幅は18メートル、顔の大きさが7.2メートル。完成は昭和54年とのことである。
山の斜面に面して胴体らしきものをコンクリートで塗り固めててっぺんに頭を付けただけのものであり、はっきりいって「これが大仏だ」と言い切るのもチョットはばかられる大仏さんだが、車も入れないような不便な場所にこれだけの規模の大仏を作り上げたのは驚愕すべき事である。その努力は大いに評価したい。
恐らく資材の搬入は徒歩で行なったものと思われる。手ぶらの私でさえかなりきつい道のりを、である。
麓のお寺さんの住職が戦没者の供養の為に家族と一緒に作り上げたものらしい。
だからこれを見て決して「いんちき大仏だ」とか言わないように。ホントに山ん中なんだから。
この大仏さんも完成から20余年。あちらこちらに亀裂が入りそこから雑草が生えており、アンコールワット並みの風格を持ち始めている。かつては印相を結んでいたであろうその手もコンクリートの崩落が始まっており中の鉄筋がむき出しになっており、廃墟大仏の様相を呈している。
これだけの規模の大仏だけに今後修復される事はないだろう。それだけに制作者の大仏建立に対する情熱と製作の際の苦労がビシビシ伝わって来る。
工法も稚拙で顔も芳しくない大仏さんだが私が今まで見て来た数々の大仏の中で最も感動した大仏の一つである。個人的には「ド根性大仏」と呼ばせていただく。
2000.7.
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