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祈願文とは祈願の内容を歳の数だけ書いて奉納するというもの。 ←こちらは標準タイプ。 69才、とあるので「め」の字を69回書いているのである。 これが例えば「十二指腸潰瘍平癒」103歳、とかだと、とんでもない大作になるわけです。 |
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こちらは同じ装丁の用紙が何枚か束ねられている。 お百度参りのように何度も祈願文をしたためて、薬師サマに 本気度を示そう、という考えか。 |
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右の祈願文の丁寧な字に本気度が伺える。 一方、左に束ねられた祈願文はメモ用紙だったりノートの切れ端だったり、と様々。 それはそれで切羽詰った感がにじみ出ていて味わい深い。 |
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こちらは先ほどもあった五円玉による「め」の字。 目はふたつあるから「め」の字もふたつ。 道理ですな。 |
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一方こちらは上級者向け。 マス目に「め」の字を書き連ねるわけだが、空白のマスをつなげると「め」の字になる、というわけ。 パズルかっつーの。 |
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コレ判りますか? 上のひし形状の空白の中に「め」の字を連ねて「め」の字を書いているんです。 同じように下の部分の三角形っぽい空白の中にも「め」で「め」の字が書かれている。 ふたつの大きな「め」の字の間に意味がわからないスペースがあるのだが、これはもしかして片仮名の「メ」の字なのか? 何でこんな手の込んだ祈願文を作るのか、真意は謎である。少なくとも俺が薬師サマだったら、面倒くさいからこーゆーのは…無視! |
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奉納者がそれぞれ思いを込めて絵馬や祈願文を奉納している。 フォーマットされた絵馬よりも見てくれは悪いかもしれないが、バラエティに富んでいる。 つまり緩やかな宗教的統制によってダイナミックな光景が生成されるのだ。 それが民間信仰の最も肝の部分だと思う。 |
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こういうの好き。 そういえば子供のころ「め」と「ぬ」と「ね」と「わ」の字を書くのがすごく苦手だったのを今、急に思い出した。 その頃から俺って阿呆だったんだなあ。 あ、さらに思い出した! 今でも「ね」と「わ」は苦手です!エッヘン! |
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数えてみたら1行19文字、で、15行。 合計285の「目」の字。 285歳なんですね、的な突っ込みはナシにしましょう。 書いてる人は真剣なんです。 そういえば坂本竜馬と同い年のおばあちゃん騒動はどうなっちゃったんでしょう? |
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額の中は本当に裁縫したモノが納められている。 裁縫上達祈願かな?と思ってよく見たら裁縫の授業の内容やプロフィールなどが事細かに書かれている。 …要は裁縫教室の先生が「私、頑張って一生懸命教えてます」と薬師サマにアピールしている、という内容の額なのだ。 え?自慢? |
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こちらは明治35年に奉納された絵額。 その割には状態が良好だ。 横須賀の水兵さんが奉納したもの。 六隻の巡洋艦の図である。 他にも日清戦争の出陣式らしき絵額も奉納されていた。 |