舘山寺/静岡県



うなぎうなぎパイうなぎパイVSOPで御馴染みの浜名湖。

その北部に位置する舘山寺町(浜松市西区館山寺町)。

温泉好きには舘山寺温泉でその名を知られている湖畔の町だ。

そんな町名や温泉名のカンムリになっている舘山寺とは何ぞや?


もちろんお寺なんです。

弘法大師が開いたといわれている1200年の歴史をもつ古刹なのだが、どうやらいい感じに仕上がってるみたいなので行ってみた。




浜名湖に突き出た岬全体が寺域となっており、いかにも特別な地形(=宗教的に特異な場所)であることを強く感じさせるロケーションだ。


階段をのぼると本堂、そして愛宕神社がある。

小高い丘の上にあるので眺望がいい。


そんな一画にただならぬ気配を察知。

えんむすび絵馬えんむすびお守り



心に鍵をかける
、というタイプの絵馬は実はけっこうあちこちで見かけるものである。

一般的には最初に念じたことを忘れない、という意味合いで使われているのだが、ここでは「お互いのハートとハートを鍵でガッチリ盃固めじゃけんのぉ!」…という意味合いで使われてる。みたい。


そういえば近年、景勝地の金網や手摺などにカップルが南京錠をかけるのが流行ってますなあ。
鍵っていつの間にかそういう意味を持つ信仰ツール(つかカップルの恋愛プレイにおけるグッズ)になっちゃったんですかね。

民間信仰で奉納される伝統的な「心に鍵」の絵馬の解釈とこのお寺の解釈、そして奉納する側の解釈が少しづつズレているような気がしてならない。こうやって新しい習俗が生まれていくのであろう。そういう意味ではとても参考になるサンプルケースである。

個人的にはお互いを束縛するのを積極的に評価してるみたいでちょっとだな…

で、そんな縁結び絵馬が奉納されるのがココ。



縁結地蔵尊である。

うすら寒くなるような眺めである。

願い事を見ればもちろんラブに酔っ払った方々の泥酔メッセージがほとんど。

みなさんお幸せに。としか言いようがないっすね。は〜。

    

絵馬に埋もれるようにお地蔵さんがキオスクのおばちゃんのようにぽつんと佇んでいた。





で、さらに奥へ進む。

湖畔の寺ではあるのだが岬全体が小山になっており、実際には山歩きに近い参拝となる。





木々の間から大観音が見えてきた。

    

舘山寺名物、大観音である。

舘山寺聖観音菩薩というのが正式名称らしい。



高さは台座込み16メートル

腰を抜かすほど大きい訳ではない。

が、驚くべきことに建立が昭和12年だというのだ。





戦前の主な大型の立像系大仏を上げてみると…

 大正11年  呼子大仏(佐賀県)

       昭和10年  金龍地獄阿弥陀仏(大分県)

 昭和10年  護国観音(埼玉県)

 昭和11年  高崎観音(群馬県)

      昭和12年  護国阿弥陀如来(滋賀県)

 昭和13年  護国観音(長野県)





てな感じ。

昭和初期から日中戦争に突入するまでの約10年間は日本のコンクリ大仏黎明期といっていい。

そんな時期のコンクリ大観音なのである。これはかなりレアですぞ。





で、近くから見上げてみる。

    


相当造形力が高いことがお分かりいただけるだろう。

御尊顔と御髪は一寸アレなんですけど、衣のドレープとか幾重にも重なっている表現なんかはとてもコンクリで作られているとは思えない。

蓮の茎をチョット摘んでいる表現とか耳たぶにピアスがぶっすり刺さっている部分などの造形は奇跡的としか言いようがない。

コンクリ造形で一番の弱点は薄い、あるいは細い部材が作りにくい、という点。

最初FRP製なのかと思った程、この時期にこの工法でこれだけの造形が出来るとは…ホント凄いと思う。

つかホントにコンクリ製なのか?未だ半信半疑なんすけど。




背後から。ここも薄い衣が重なってる部分が確認できる。

やっぱFRPっぽいけど戦前にそんなのないし、鋳造製にしては厚みがあるし。

ペチペチ叩けば判るんですけど届かないし。崩れたらヤバいし。



観音像前には巨大な香炉と花筒。象さんかぁ。

    



観音サマの隣には小屋が建っており、その壁には巨大な草鞋がかけられていた。

まるで観音サマが履けそうな。

で、縁の下には西行が修行したといわれる木魚岩なる石がある。

    


小屋には観音像建立の謂れが記されていた。曰く、この地で男女の心中がありその霊を慰めるため建立したのだとか。

うむ〜。この辺の微妙なリベラルっぷりも戦前大仏の中では異色といえば異色。


戦前大仏の建立の理由の多くが護国だったり皇室関係の記念やお祝いといったものであった。

もちろんこれは大義名分であって、その裏には様々な理由があったと考えるべきだろうが、ここの大観音のように男女の心中といったかなり個人的な理由から大観音を建立する、という事に関しては違和感を感じざるを得ない。戦前の場合。


造形といい建立趣旨といい、ホントに戦前のものなのだろうか?と疑問に思っちゃうほど戦前大仏のなかでは異色の存在なのだ。






最後に穴観音と呼ばれる小さな人口洞窟に参拝してシメ。

    

ここは弘法大師が舘山寺開山の際に篭った洞窟だといわれている。

眼病平癒のご利益があるそうで。




頼りない蝋燭の灯が絵馬を照らしていた。



2009.05.
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