埼玉県春日部市の
圓福寺は呑龍上人が生まれた寺として有名だ。
熱心な当サイトの読者の皆さんなら御存じかと思うがこの寺の祭りでは
曼陀羅堂が公開されるのだ。
2019年のレポートは
こちら
前回訪問の際、あまりにも面白かったのでまた行ってみることにした。
桜の花も満開な4月上旬、圓福寺まつりは行われる。
コロナ禍の時期に3年間中止されていたが去年(令和5年)から再会されたのだ。
お寺の詳細等は前回のレポートで詳しく述べているので略する。
本堂前に椅子が並んでおり、様々な催し物が行われるのだ。
花祭りの時期なので本堂前には釈迦生誕像が。
そして象さん。
本堂ではオペラ歌手の歌唱などが行われていて何とも華やかな雰囲気だった。
で、お目当ての
曼陀羅堂。
この中に
凄いお宝が詰まっているのだ。
おさらいするとこのお堂は元禄期に圓福寺の僧侶であった
光世上人が手掛けた作品の数々が収められているのだ。
それは何かは置いておくとして、まずは中に入ってみよう。
参拝は正面からだが、入口は正面向かって右手になる。
入場料を払い中に入る。
入口から見た内部。
左手がお堂の正面。
こうして外からも無料で見ることは出来るが、絶対中に入った方が良い。
前回は撮影禁止だったのが、今回行ってみたら何と撮影OKとの事だった。
前回撮影出来ずに悔し涙を流した分、
今回は力いっぱい撮らせて頂きますよ!
ああ、再訪した甲斐があった!
というわけでお邪魔しま~す!
最初の作品は堂内に入ってすぐのこちら。
大きな厨子の中を覗き込むと…
釈迦涅槃像があるのだ。
釈迦の入滅とその死を悲しがる弟子たちの姿をジオラマ仕立てに立体的に表現したもの。
中央の涅槃像もだが、周囲の釈迦弟子たちの姿も一体一体丁寧に造られている。
手前では動物までもが悲しんでいる。
動物の中には象も見られるが鼻が短く、いわゆる日本に象が来る以前の
想像上の象の姿だ。
江戸に初めて象がやって来たのは享保13年。この涅槃図の30年後だ。
上空には雲がかかっている。
雲の中に人の姿が見える。
これは釈迦の生母、
摩耶婦人だ。
ピンチを聞きつけて薬を持って来たのだが間に合わなかった、というシーンを表している。
釈迦の死を悲しむ弟子たち。
中には鬼のような者も混ざっている。
釈迦涅槃像の次に現れるのがこちら。
光世上人の最高傑作、浄土当麻曼陀羅彫刻である。
奈良
當麻寺の曼陀羅図を3Dで表現した力作である。
極楽浄土の様子を余すことなく立体化しているのだ。
仏像のみならず建物も正確に表現されている。
その執念にはただただ驚くばかりである。
端の方も手を抜くことなくキッチリ造り込んである。
太鼓橋を渡る御像とかもちゃあんと再現している。
この辺の
モデラ―根性が私は大好きなのだ。
下の方には船も浮かんでます。
天上にも様々なエレメントが吊られており、浄土感がよく表されていると思う。
特筆すべきはオリジナルの当麻曼陀羅の外面左右下にある小さくコマ割りされた絵までも立体で再現している点。
こちらは人間の往生の中で上品下生というもの。
前コマ、キッチリ再現されているのだ。
さて。
ここで光世上人のヒストリーを述べる。
光世上人はその経緯は不明だが、30代の頃にこの
圓福寺の寺宝である中将姫真筆の称讃浄土経に接している。
その感動のあまり中将姫が手掛けたという当麻曼陀羅図を立体で再構築するという大志を抱くのであった。
元々上人は造仏が出来る僧で、立体曼陀羅図を製作する前に
二十五菩薩来迎像を手掛けている。
その来迎図が立体曼陀羅の隣に展示されている。
厨子の中には阿弥陀如来を中心に25体の菩薩像が並ぶ群像となっている。
人が往生する際に天から雲に乗ってやって来るという二十五菩薩。
小さなスペースに雛壇状の雲を造りそこに二十五菩薩を配置する。
ひとつひとつの菩薩像の姿がよく見えるように工夫されている。
この二十五菩薩来迎像などを引っ提げて光世上人は江戸に出る。
深川で出開帳を行い、その後同地で念願の立体当麻曼陀羅を製作することとなる。
そして6年という時間をかけて先程の釈迦涅槃像と立体曼陀羅を完成させたのである。
曼陀羅堂の一番奥には巨大な障壁がある。
これは
閻魔王宮と百三十六地獄木彫図である。
(開くとこんな感じ)
閻魔王宮と地獄の様子を表した木彫レリーフ状の障壁画なのだ。
中央に
閻魔大王が鎮座し、あの世の裁きが表現されている。
裁きに使う人頭杖や業の秤、浄玻璃の鏡もある。
特筆すべきは図中に登場する閻魔や獄卒がニコニコしており、全体的に
ユーモラスな風味に仕上がっている事。
右袖部。
全体的に赤々とした色彩で構成されており、おどろおどろしい感じなのだが…
鬼や獄卒は皆目は金色で表情が笑い顔なので、
恐ろしさと可愛さが同居している不思議な世界が展開されているのだ。
江戸に出て立体曼荼羅と釈迦涅槃図を完成した光世上人はその後、更に2年江戸に留まりこの閻魔図を完成させたという。
これにて
西方浄土と地獄の両世界を現す、という光世上人の誓願は成就したのであった。めでたしめでたし。
そして涅槃像、曼陀羅図、閻魔図を引っ提げて9年ぶりに春日部に戻ってきて、その後
圓福寺の第九世住職になった。
その江戸から帰った後に作られたのが
法然上人一代記である。
これも木彫レリーフだ。
曼陀羅堂の正面開口部上の内側の壁にあるのでこの図だけは曼陀羅堂内に入場しなければ見ることは出来ない。
立体曼陀羅や釈迦涅槃像の出来に比べるとレリーフはあまり得意じゃなかったのかな?
個人的にはこっちはこっちで好きですけど。
光世上人の半生をかけた力作の数々をたっぷりと堪能させていただきました。
御馳走様でした。お腹一杯です。
曼陀羅堂の前には光世上人の石像がある。
上人はこの後66才の時に
断食の行に入り2か月後に往生する。
自らが作ったような二十五菩薩に迎えられ、自らが作ったようなな西方浄土に旅立ったことだろう。
これだけの偉業を成し遂げ、さらに自らの命を賭して極楽浄土を目指す光世上人の浄土への思いは如何ばかりか。
私のような凡人には思いもよらない壮絶な生き様だ、としか言えません。