本福寺/佐賀県基山町


佐賀県の東端、福岡県との県境に面する基山町。

その基山の山中にある本福寺は光明念佛身語聖宗という宗派のお寺だ。

まあ、聞いた事がない方がほとんどだと思う。かくいう私もまっったく知らなかったです。

元々真言宗系のお寺だったが昭和51年に現在の宗派を立宗したそうな。

平成23年が立教百周年。ということは明治44年に立教されたということになる。

立教と立宗?どう違うのか良く分からないが、明治44年にオープンしたお寺が昭和51年に改宗した、という解釈でよろしいんでしょうか。

で、光明念佛身語聖宗がどんな宗派なのか、というのはこの後何となく判明するのだが、それよりもビックリなのは山道を進んで行くといきなり現れる巨大な堂宇群、そして色とりどりの大量のノボリ

本堂は御覧の通り。新しそうな建物だが特濃彫刻がお出迎え。

かなりくどめの彫刻に埋め尽された軒下。

象鼻とかリアルな象さんですもの。

 

本堂辺りをうろうろする。

どうもこの寺には人気がないような…

本堂も開いておらず、寺務所も無人でひっそりとしている。

これだけの規模のお寺で無住とは考えにくいし、どうしちゃったんだろう…

 

とにかく歩を進めよう。

本堂脇には黒光りしたお地蔵さんがズラリ。

で、そこには九州名物のハードペインテッド不動さんが。

あ、でもその手前の三宝荒神も黒地に金のワンポイントがブラザーっぽくて素敵。

繰り返すようだが、九州では石像、特に不動明王の石像をペンキ塗りするのが正調マナー。

関西や津軽のお地蔵さん同様、不動さんを見たら塗らずにはいられない「塗り塗りジャンキー」の精神風土があるようだ。

この精神性はぐっと九州を南下すると田の神さあに受け継がれていくと見た。

不思議なのはこれだけ塗るのが好きならばお地蔵さんも塗っちゃえばいいのに、と思うが、どうも九州北部では化粧地蔵は見かけない。

石像のペンキ塗りという行為自体は似ているが化粧地蔵と化粧不動のルーツは別なのかもしれない。

新しい石像が並ぶエリアから先に進んで行くと段々古い石像になっていく。

古いものの方が造型に味わいがあり、その分面白い不動サマが多い。

塗りに勢いがついちゃったのか、弘法さんや観音さんにもペイント現象が伝播している。

同じ色の塗料で塗られているのは同一人物によるペイントなんだろう。

「この不動さまはウチのご先祖さんが奉納したけんが、ウチが塗らんば〜」みたいな感じなんでしょうか?

さらに奥に入って行くと段々薄暗く、無気味な空気が漂ってくる。

巨大な不動さんの周辺にも様々な石像が並んでいる。

注目は弘法大師、なのだろう。ランドセルのようなモノを前に背負って(日本語へンすか?)いる僧形の石像。

これが数体あったのだが、皆、布をかけられている。

中にはランドセルのようなモノが邪魔で布が上手くかからないものもあったりするが信仰の篤さは布の納まりの良し悪しなど凌駕するのですぞ。

そんな濃い石像群の先に何やら秘密っぽい場所があった。

そこにもたくさんの石像が並び周囲はコンクリの壁で囲まれていて閉鎖的な雰囲気に満ち満ちていた。

人の気配を感じ、恐る恐る覗き込んでみると・・・

フンドシ一丁のお爺さんと白装束のおばさんが竹筒から落下してくる水で水垢離をしていた。

水垢離をしているお爺さんとおばさんは真剣そのもの。

時々ハッ!とかヤァ!とか気合を入れながら物凄くでかい声で一生懸命念仏を唱えながら水垢離をする姿にとても「すいませ〜ん写真いいっすかあ〜」などと言える筈もなく壁の上に回り込み修業の邪魔にならぬよう見物させてもらった。

これがここの光明念佛身語聖宗の真髄なのか。真言密教をベースとした修業の場なのだろう。

境内には旅館のような大きい宿坊や売店などがあり、何日も泊まり込んで修業する信者の存在を物語っている。

訪れた時がたまたまそうだったのか、いつもそうなのかは分からないが、お寺の人が不在でもこうして信者が自主トレのように修業をしている姿を見ると、何となく信者の自主性が強い宗派なのかな〜、という印象を持ってしまう。

その真摯な姿勢に不信心な私もちょっと感動しちゃいました。

 

水垢離場の近くには紅白のノボリが下がっているが、その中に日の丸が何枚かあった。

実はこの後、全く別の地域だが似たようなシチュエーションで日の丸奉納を見た。

日の丸といえば戦争関係の祈願かサッカー日本代表にエールを!(あ、そのハナシは御法度でしたね)みたいなノリしか思い浮かばないんですけど…実は日本中にノボリの代わりに日の丸を奉納する習俗ってあるのだろうか?

 

日の丸のみならず境内には様々なお祈りグッズが点在している。

「め」と書かれた布。これはその内みっちりきっちりと説明させてもらいます。

故人の名前が書かれた杖。これは実際に使う杖なのだろうか。それとも卒塔婆の一種として奉納されているのだろうか。

本堂から少し離れた小高いところには平成6年に完成した五重塔が建っている。

 鉄筋コンクリ造なれど中々立派なものである。

かつてはコンクリ五重塔といえば全体のプロポーションや細部が省略されまくっており、見るも無惨な塔が多かったが、平成生まれのコンクリ五重塔は往年の名塔を完全コピーしているものが多くなって来た。もちろん細部まで再現出来るリモデリング技術の向上によるものだろうが、ここまでコンクリで木造建築の模造をする必要があるのだろうか、と考えてしまう。

個人的には昭和に建てられたモダンなコンクリ五重塔とかが発展して、とてつもない形状の仏塔が出来たら面白いのになあ〜、と密かに期待していたもので。

技術が発達する事によって伝統回帰の方向にいってしまうのは現代の日本の仏教の目指す指向性が後ろ向きって事なのだろうか。

正調オールドスタイルの五重塔のコピーが建設される現代の風潮。その気持ちも判るんですが、もっとアクティブにやっちゃって欲しいもんです。

塔の前のお堂の中には巨大な仏像がおわす。

鍵がかかっていたので外から眺めるだけで顔が見えない。

実はお堂の背後(つまり五重塔の辺り)がガラス張りになっており、しかも一段高くなっているので大仏さんの後頭部だけは外から見る事ができる。

頭の周辺にファイヤーパターンが渦巻いていたようなので、これまた不動明王なのだろう。

 

五重塔から境内を見下ろす。手前に見えるのが宿坊、奥が本堂。宿坊の裏手に先程の水垢離場がある。

 

本堂のさらに先にもお堂があり、そこにもファイヤーパターンが真っ赤に塗られた不動サマが立っていた。

そこにも日の丸が掲げられている。

 

民間信仰と新宗教と山岳信仰と密教が渾然一体となった何でもありの不思議な信仰の百貨店のようなところだった。

 


2006.4.

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