霊諍山/長野県



修那羅山安宮神社の石仏群の奇天烈さに感動した私は霊諍山へと向かった。

ここにも不思議な石像が林立しているのだという。


場所は千曲市。修那羅山からは10キロほど北に位置する。

修那羅山は奥深い山の中にあったが、こちらは里の中の山といった風情で、登山口のある大雲寺というお寺がある辺りは田んぼと住宅地が半々、といった感じ。


とはいえ車で比較的近くまでアプローチ出来る修那羅山と違ってこちらはそれなりに山道を歩かなければならない。

炎天下の真昼間に山登り。楽な要素が何一つないじゃないか!

汗まみれになって歩くこと20分。社殿が見えてきたよ。ふはー。



小高い丘の上に社殿が建っている。




修那羅山に比べたら規模は小さいようだ。




説明書きによれば…

この霊場は明治中期に北河原権兵衛という人が開いたところで、修那羅山安宮神社を開いた修那羅大天武の高弟である和田辰五郎という人も関与していたという。

当時は吉凶を占う「御座たて」という神事が行われていたが、今はやっていないという。



御座たてというのは御嶽信仰で行われる儀礼だ。
つまりこの神社は修那羅山の信仰と御嶽信仰がミックスして土着化したところのようだ。

なので純粋に修那羅山の分社というわけではなく、大きく影響を受けた神社という事になろう。



小高い丘は直径100m程度の円形状で、そこがそのまま社域となっている

その円形の丘の縁に沿うようにズラリと石像が並んでいるのだ。



最初に出会った石像は鳥居の手前にあり、この神社を訪れたすべての人が目にするであろう位置にある。

いわば受付係のようなものか。

髪型やポーズからして如来系のどなたかなのだろうが、普通に着物だしなあ。





こんな感じで中央の社殿を囲むように石仏や石祠が並んでいる。





最初にギョッとしたのはこのお方。



歯をむき出しにして笑っている。

片手に布のようなものを持っているが、奪衣婆

実に楽しそうに笑っているじゃないか。しかも歯が多いぞ。




こちらのお方もかなりユニークだ。

上半身に比べて足がメチャ小さい。

まるで被り物をかぶっている感じだ。






素戔嗚命と日本武尊なのかな?




恵比寿、大国。




蔵王権現なのだろう。





本殿の脇に古い建物があった。




何と言っても壁に掲げられた鹿の角が印象的だった。

トラジャ族が水牛の角を建物に掲げているのを思い出しちゃったよ。





内部は至ってシンプル。

左の馬が恐いレベルに朽ちかけている。



祭壇もやや荒れ気味。

ちなみに屋内に蜂がぶんぶん飛んでいてあまり腰を据えて見ることが出来なかった。




こちらは隣の社。





自然石も数多く奉納されていた。





お地蔵さん。

とどのつまりここの神社は民間信仰で人気の高い神仏を集めたオールスター軍団なのだと思う。

遠くの神社仏閣に参拝に行くのが大変だから、かどうかは判らないが、兎に角人気の神仏を一堂に集めた感じがする。




木の中にまで神様が。


これは最近奉納されたようだ。


また、以前からある石仏にも近年木で出来た屋根が架けられていたりする。








たまに線刻のものもある。




全然見たことのない神様ばっかり、という訳ではないのだが、普通の石仏と比べるといちいち変わってるんだよなあ。




象に乗ってるので普賢菩薩、だとは思うんだけど…。妙に女性っぽいし。

巻物持ってる普賢菩薩ってあるのかなあ?と思って今ググったらあるんですね。








こちらは十二支の守り本尊。

卯年とあるので獅子に座っている文殊菩薩と判ったが、獅子というより首長龍みたいですよ




こちらは大日如来。

何となく違和感はあるが、まあストライクゾーンぎりぎりな感じですかねえ。






不動明王。表情がカワイイ。いいのか憤怒相は。




修那羅山同様、ここにも鬼がいた。

手にヤットコを持ち、今にも亡者の舌を引き抜かんとしているようだ。ま、怖くないけどな。




ココ霊諍山の石像全体に言えることだが、修那羅山の石像に比べるとユーモラスな印象を受ける。

もちろん修那羅山も充分ユーモラスなのだが、今までにない信仰を作り上げるにあたって修那羅大天武は開祖としてそれなりの教義や信仰スタイルなどをゼロから構築しなければいけなかっただろう。

それなりの理論武装もしなければならなかっただろうし、そういう意味では修那羅山の方が、やや真面目(といってもあんな感じですが…)な雰囲気があったのではなかろうか。

一方、こちらは修那羅山の信仰をある程度継承する形で開かれた場所なので、試行錯誤のない、明快ですっきりした石像が多いように思えるのだ。

もちろんどちらもそれぞれの良さがあり魅力的なのだが。




線刻の鬼。こちらも見難いがヤットコを持っている。




摩利支天。




そしてこの霊諍山のアイコンとでもいうべき猫と猫神




大きな目、飛び出した牙、袖なしの半纏、デベソ、フンドシ。



何だか宮沢賢治の童話に出てきそうな神様ではないか。




一方猫の方もカワイイが、よく見ると目が笑ってないぞ…。


繰り返しになるが、この地方は養蚕が盛んなのでネズミを捕るネコは動物カーストの上位にいたと推測される。

なのでネコを祀っているのだろう。

とはいえこの地方全域でネコを祀っている訳ではないので、やはり珍しいことに変わりはない。






3体並ぶ右2体は天神様だろう。

左の人物は北河原亀治郎とある。この山を開いた北河原権兵衛の関係者だろうか。



石像も多いが、このような石祠も多い。





このように最近作られた木の祠もある。





このお地蔵さんの笠も最近作られたものだ。




木の幹に直接取り付けられたお地蔵さんや…


    

柱をくり抜いた中にもファンシー系のお地蔵さんがいたりする。

これらはもちろん近年作られたものだろう。



ここ霊諍山の石像とは何ら交わることのないモノなので特に記することもないっす。






傍らには比較的新しい小さな祠があった。



中には如意輪観音が祀られていた。

こちらも特筆すべきものではないが、こうして今でも霊諍山を信仰したり新たに仏像を寄進する人がいる、という点は重要だ。






本殿の軒下にはここの石像の写真が飾られていた。



民間信仰や山岳信仰や民衆信仰などが入り混じって生み出された独特のカミサマ


ポケモンGOなんてやってる場合じゃないって!





2016.07.
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