唐松観音 六椹観音/山形県山形市

山寺でのムカサリ絵馬との衝撃的な出合いから1週間。

その間、ムカサリ絵馬の事を色々調べた結果、山形県の村山、最上地方に多く見られる事が判明。

というわけでこれといった根拠も必然性もないのだが取り敢えず山形でも信仰が篤い最上三十三観音のうち幾つかの寺を巡ってみる事にした。

まずは山形市内の唐松観音。五番札所となっている。

 

山の中腹にある懸造の観音堂は昭和51年に再建されたものだが寺の歴史自体は平安時代にまでさかのぼる程古い。

 

観音堂へのアプローチは階段を登って行く。その途中にあった掲示板のようなものには巡礼者が打った紙製の納札がびっしりと。

元来はお堂に直接張り付けていたらしいが現在は建物の保護のためこのようなスタイルが多いそうだ。

堂内は南向きの懸造なので日当たりが良い。朱塗りの柱梁と相まってカラッとした雰囲気だ

中央には金庫のような扉がある。これは秘仏の本尊が納められているという洞窟への扉で普段開かれる事はない。

柱や梁には亡くなった人の遺影や千羽鶴などが掲げられている。故人の供養という目的が信仰の重要なファクターになっていることが伺える。

 

で、ムカサリ絵馬が二枚かかっていた。

 

年老いた遺族が描いたのだろうか。ペン画で床や背景を一切省略した絵はシンプルで膳や金屏風や座布団のパースが変だったりして決して上手い絵ではないのだが、その稚拙さを遥かに凌駕する「供養のためにペンに魂込めました」みたいな感じがビシビシ伝わってくる味わい深い絵面である。

 

 

もう一枚。絵心がある人物が描いたのは一目瞭然だ。真横からのアングルや観音さまが見ている点が他のムカサリ絵馬と比べて珍しい。何より蓮の池の上で行われている婚礼という絵面が幻想的である。どちらかというと多くのムカサリ絵馬は婚礼のディテールや故人の顔を似せようとするリアリズムが支配しがちだが、この絵馬からはそういったモノはあまり感じられない。描き手の意図はどこにあるか知らないが印象として故人の死を悲しむというよりも死をある程度受け止めた上での落ち着いた気持ちが伝わってくる図柄という気がして来る。勿論私が受けた印象がそうなのであって真意は分からないが。この後色々なムカサリ絵馬を見るがこれ程浮き世離れした絵馬はそうそうなかった。むしろ左隅に貼られたまだ若い故人の遺影が生々しい痛ましさを想起させる。

振り返れば天気が悪いので遠くの山が霞んで見える。金網に結ばれているのはおみくじなのかそれとも巡礼者の紙札なのだろうか。

 


山形市街から程近い六椹観音。八番札所となっている。

ここは訪れる予定はなかったのだが山形市街に近く、時間があったので寄ってみた。

最近出来たと思われる本道の右横に観音堂が建っている。

中を覗くと薄暗い壁面にムカサリ絵馬が掛かっていた。

比較的新しい絵馬で、新郎がタキシードを着ている。このようにその時々の時代背景を繁栄しているのはムカサリ絵馬をはじめとする冥界婚礼が今も人々の間でリアリズムを失っていないからに他ならない。ムカサリ絵馬は決して「昔からやってるんで取りあえずやってます」みたいなレベルの伝統行事などではなく現代でも人々の心の中で整合性をもった行事なのだ。多分。

しりあがり寿タッチの絵馬。新郎新婦の名前が書き込まれているが、どういうことだろう?

境内にあった水子地蔵。ここにも多くの供え物が置かれていた。

このような地蔵信仰と冥界婚礼の信仰はどのような形でリンクしているのか、両立しているのか、それとも元々はどちらかだったのか、興味深い謎である。

 


1 山寺/山形県山形市

2 唐松観音、六椹観音/山形県山形市

3 若松観音/山形県天童市

4 黒鳥観音/山形県東根市
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