メキシコ珍寺武者修行





チャルマの大聖堂/チャルマ El Senor de Chalma /Chalma




メキシコ珍寺武者修行、本日はメキシコシティからバスに乗ってチャルマという街を目指す。


チャルマは実に小さい街で、観光で訪れることはほぼない街だと思う。

しかし!メキシコの民間信仰を語る上では欠かせない聖地なのである。




メキシコシティから100キロ。ローカルバスに揺られて2時間ほど。

チャルマの街に着く。

この街最大の見どころはチャルマの大聖堂(El Senor de Chalma)。

というかチャルマの街自体がこの大聖堂の門前町みたいなところなのだ。


バスを降りたら問答無用で教会の門前市に出る。




バスの乗客もほぼ100%教会への巡礼者だ。




教会の門前市らしくキリストグッズが売られている。




中には肌の色が黒いキリスト像もある。

ここ、チャルマはキリスト出現譚により聖地となった場所である。

そして現れたキリストは黒い肌をしていたという。



こんなの誰が買うんだろう?と思ったが意外と売れている。




このチャルマという場所はメキシコ人にとってはかなり重要な聖地だとか。

先に紹介したグアダルーペ寺院に次ぐ民間信仰の聖地だそうだ。




なるほど、先程から十字架を背負った巡礼者が次から次へとやって来る。

それに伴って楽団などが派手な音楽を鳴らしながらやって来る。

相変わらずどこへ行っても音楽にあふれているなあ。




門前市を抜けるといよいよ教会が見えてくる。




大勢の人々が教会に押し寄せている。

その中には十字架に張りつけられたキリスト像を持つ人もチラホラ。




教会前の手水。


かつてこの水を全身にかけて踊りながら教会に突入した者に奇跡がおこった、という言い伝えがあった。

それにあやかって皆さんジャブジャブ水を自らの身体にかけている。




この水、ただの水ではない。聖なる水なのだ。




教会前に置かれたたくさんの杖。

たくさんの巡礼者が長い距離を歩いて来たのだろう。




教会の中も凄い熱気。

人が多すぎて正面のキリスト像には近づけませんでしたよ。




教会の背後は険しい山。




その山肌にたくさんの十字架が建っているのが見えるだろうか。




チャルマから次の巡礼地に向かう巡礼者。

後の人は右ひざを包帯で巻いた上からビニールテープでグルグル巻きにしていた。

中々辛そうな巡礼だ。




さて、礼拝が終わった人々は教会正面の広場から左の階段を下りていく。




そこには綺麗な川が流れているのだ。




先程の聖なる泉といい、この川といい、水に縁の深い聖地だ。




丁度教会の裏側当たり。

皆川辺でくつろいでいる。

中には川に浸かっている人もいるぞ。




そんな川を望むように建物が建っている。



中には大量の絵がびっしりと並んでいる。

そう、これらは全てエクスヴォトなのだ。




日本でいえば絵馬堂のような場所ですな。




ここでエクスヴォト(Ex-Voto)についてもう一度おさらい。

エクスヴォトはカトリック系の教会に奉納される絵で、中世のヨーロッパでも見ることが出来る。

内容としては良い事があった場合に神に感謝の意を込めて奉納するものだ。

一見、日本の絵馬によく似ているが、日本の絵馬が祈願のために奉納するのに対してエクスヴォトは願いが叶った際に奉納するものなのだ。





ヨーロッパ、特に中世イタリアの伝統的なエクスヴォトはそれなりの画家が手掛けたものが多く、重厚な雰囲気が漂うものが多い。

(そして現存する数も少ない)

一方メキシコのエクスヴォトは近代以降に大流行したようで、数が多く妙にポップなのだ。





描いているのもローカルな絵師や奉納者自身によるもの。

しかもメキシコの世相を表して交通事故やドンパチ騒ぎなど、カトリック側から見たら発狂しそうな内容の絵がたくさん奉納されているのだ。




メキシコ市内のグアダルーペ寺院の博物館にもたくさんのエクスヴォトが展示してあったのを思い出してほしい。

しかしそれらは時代的に古いモノが多く、しかも「博物館に収蔵されるべきモノ」として教会あるいは博物館のバイアスのかかった絵が多かった(はず)。




ところがここに掲げられているのはリアルなメキシコ人の今の欲望や願いを素直に反映したエクスヴォトが多い。

ある意味、これらのエクスヴォト自体がメキシコの「今」を逆照射しているのだ。


では個別に見て行こう。



一番オーソドックスな病気快癒に対して神に感謝する絵

これは中世ヨーロッパのエクスヴォトでも見られる古典的な絵柄だ。




ネガポジ逆転したかのようなドラマチックな絵。1965年のもの。




妻の病が治った感謝を神に捧げたエクスヴォト。

ベッドの上の人そっちのけで医療機器や棚の正確性に力が入ってしまった逸品。

素人が描く絵馬の神髄がこの絵には、ある。




次に多いのが交通事故から生還した感謝のエクスヴォト。




バスに轢かれたけど何とか生きられました、的な絵馬。

必ず傍らには神の姿がある。




警察の調書並みに事細かに事故の説明を神様に報告する絵馬。




交通事故の絵馬は非常に多かった。




赤いベストに様々なピンバッジや写真が貼られている。

これも願いが叶った御礼として奉納されたのだろう。




こちらは逮捕された人が無罪放免となった御礼のエクスヴォト(多分)。

メキシコの警察や司法制度に対する不信感のようなものが垣間見える。




何か凄い工作機械に挟みこまれてからの生還御礼。だと思う。




これは何だろう?

憲兵的な人に銃殺されている衝撃的なシーン。

その中で生き残った人が奉納したのだろうか?




銃もメキシコのエクスヴォトにはよく登場するアイテムだ。

メキシコもアメリカ同様、銃の所有を国民の権利として認められている国だ。

従って銃にまつわるトラブルも多い。




(意訳)レンガの壁を作っているところにいきなり銃撃され、顔を撃たれたのですが神の御加護によって事なきを得ました。

オイオイ!そこ撃たれたら無事じゃないだろ!

と思ったが、実際このエクスヴォトを奉納しているのだから無事だったんだろう。よかったっすね。





他にも突然神が出現したシーン。




これは娘と孫が死んだことに感謝してるのかな。チョット意図が判りませんでした。


後日、これらのエクスヴォトを中南米の知り合いに見てもらったのだが、スペルミスが異様に多い、というのが共通した見解だった。

識字率の問題もあろうが、これらのエクスヴォトを描いて奉納している人々自体が高等教育を受けていない人、あるいは普段現地語を使用している人達によるものなのかも知れない。

いや、断言はできないが。





安全運送祈願かな。

少しオラついた感じがイイですね。





このような絵を見ることで私はメキシコの人々が増々好きになった。




メキシコ人は日本人から見るとわざとらしい位に幸せを表現し、嬉しさを表情に出す。
(あくまでも個人の感想です)




空気を読むとか場をわきまえるとか、本音と建て前を使うとか、そういう面倒くさい日本人の人間関係に比べて何とシンプルな事よ。
(あくまでも個人の感想です)





勿論彼らの社会にも問題は多い。むしろ問題だらけだ。


でも目に見えない同調圧力による閉塞感が蔓延する今の日本の社会からすると彼らの思考法に学ぶことは多いように思える。

褒められたら喜ぶ、怒られたら謝る。気に入らなければケンカする。ま、それだけじゃないだろうけど、ね。





ハナシが逸れました。

エクスヴォトの話に戻りますよ。




ここで一番グッと来たエクスヴォト。

2階の窓から落ちたチビちゃんが無事だったことへの感謝。

伝統的な構図ではないが、チビちゃんの写真まで貼ってあり、見ているこちらまでうん、うん、良かったねー、と思えるエクスヴォトだった。




昨今、メキシコでも無神論者が増えているという。

そういう人たちから見たらエクスヴォト?あー、あるねー、そういうの。程度の反応らしい。



それでもここに掲げられたエクスヴォトには自分の幸せを信じて疑わず、一分の迷いもない。

全力で神に感謝を捧げている。

その力強さはどこから湧き立つのだろう?




昔はスペイン、今はアメリカと複雑な関係性を構築してきたメキシコ。


そんな複雑な歴史を経てきた国に於いて神(キリスト)に縋るとはどういうことなのか、その正体を見極めていきたい、と強く思いましたよ。

ここにきてぼんやりしていたテーマのようなものがやっと見えてきたぞ。(今更?)






…などと考えていたらいきなりチビッ子が私の顔を覗き込むように現れた。

まるで「お主、やっと気が付いたか」と言われてるような気がした。

神の使いかよ…




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