その看板が発する何やらただならぬ雰囲気を感じ取り(「妖気!」とかいって髪の毛が立ったりします)、看板の示す通り脇道に入って行った。
行けども行けどもそれらしきところがないので諦めて引き返すと国道から入って幾らもしない交差点に「←福禄大黒天」という看板が壊れて落ちてました。
看板リペア夜露死苦。
山腹には大きな大黒天の磨崖仏が。もちろんナイス顔。
雛壇上に並べられた五百羅漢。赤い階段や手摺が効いている。工場っぽくてかっこいいぞ。
五百羅漢の右奥にはこんな磨崖仏も。デッサンが狂っているようないないような微妙〜なところが何とも言えないイイ感じ。
上右写真の左端の仏像なんぞ頭円柱ですよ。つくりかけなんだろうけど。
まだまだ境内には磨崖仏が増殖中。磨崖仏といえば昔のモノ、と思い勝ちだが、こうして現在でもつくられているのだ。
ただ、つくられている石像や磨崖仏の雑多具合からこの先、愛知の風天洞みたいな方向性を向いているような気がしてチョット心配。
これ、あと500年位したら文化財みたいな扱いになるんでしょうか。20世紀を代表する大分の磨崖仏とかいって。
でも、仁王さんが倒れてましたよ。メンテ夜露死苦。
つくり続けながら廃虚化していくのはガウディのサグラダファミリア同様、つくる事に一生懸命すぎてつくった部分のケアまで行き届かないという事なのだろう。
このような伽藍造営への猪突猛進ぶりは個人的には大好きである。
帰ってきてから功徳院のホームページがあったので見てみたら山頂に石像の福禄大黒天としあわせの鐘なる鐘があることが判明。
私が訪れた時は山頂へのゲートが閉まっていたので行かなかった、というか五百羅漢辺りでお腹一杯になっちゃったので肝心の福禄大黒天としあわせの鐘の看板の事をすっかり忘れてました。
で、功徳院のホームページはこちら。
2002.11.
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