久渡寺/青森県弘前市

弘前市南部の山中に久度寺という寺がある。

この寺、かつては津軽藩の祈願所という由緒正しき古刹なのだが、今ではオシラサマの寺として知れわたっている。

オシラサマ。

・・・それは東北地方を代表する民間信仰神である。

養蚕神とも、田畑の神とも、一説には眼病の神様とも言われるオシラサマは大抵各家庭に祭られている。

オシラサマといえば遠野が有名だが実は名前や形態をかえながらも東北地方全県に存在が確認されている。

もともと先端に頭が彫られている桑の棒にオセンダクといわれる布をかぶせてある神様で、遠野で見られるようなオセンダクの中央にに穴を開けて頭を露出させているモノを民俗学では貫頭型と呼んでいる。一方、布で頭を被せてしまいテルテル坊主のような状態になっているモノは包頭型という。

その包頭型のオシラサマの中でも特に青森県のオシラサマは久渡寺型と呼ばれ別格扱いされている。

それは何故か?一体、久渡寺型オシラサマとは何なのか?・・・

答えはこの石段の上にある、はず。

 

その名も久渡寺山の中腹にある久渡寺。津軽三十三観音霊場の一番札所にもなっている。この日も雨、しかも比較的早い時間にも関わらずお遍路さんが先を歩いていた。長い石段を登り切るとそこには朱塗りの観音堂がある。

 

先に着いたお遍路さんがお参りを済ませて一休みしていた。

ナントカ郡のナントカ村から来たと言っていたがバッキュンバッキュンの津軽弁だったので良く聞き取れませんでした・・・

観音堂の中は暗くて良く判らないが、オシラサマはないみたいである。観音堂の裏には土蔵造りのお堂があるが鍵がかかっている。

久渡寺型オシラサマの本拠地なのにオシラサマがある訳じゃないのか・・・オシラサマは各家庭で祭ってあるものだからお寺には何もないのだろうか。

 

3〜4メートル程の観音像や飾りたてた馬などがいた。

化粧地蔵もいました。

・・・さて、肝心のオシラサマも見られないようだし、そろそろ帰るか、と思っていたら、お遍路さん達が「ボク達、チョット本堂に行くんだけどキミも行ってみない?」(という意味合いのコトバだったような気がする・・・)と言うので尻尾を振ってホイホイ付いていった。

本堂は観音堂の少し下にあり、民家っぽい建物なので知らなければ通り過ぎていたかも知れない。

本堂の玄関をあがるとビックリ。本堂にはたくさんの人達が座り込みお茶を啜っているではないか。

それはまるで温泉場の休憩所みたいな呑気な雰囲気であった。

そして皆さんがゴロゴロしている向こうの内陣には久渡寺型オシラサマが鎮座していた!

これが久渡寺型オシラサマである。

豪華なオセンダク、首には鈴と首飾り。大きさも1メートル程の大きさである。

他の地方のオシラサマはこんなに立派な布地を使う事はなく飾りもほとんどない。一般的な包頭型オシラサマに比べたら津軽のオシラサマ、つまり久渡寺型オシラサマはゴ−ジャスなので物凄くありがたい神様という感じがする。

例えが何だが、どのくらい違うかというとテルテル坊主とペプシマンくらい違う

このオシラサマという神は家神で普段は各家庭に祭られているのは先に述べたが、年に一回オシラサマを「遊ばせる」のだそうだ。

遊ばせるとはオシラサマを中心に皆で宴会をしたり、オシラサマ自体を振ったりしてオシラサマに遊んでもらうという意味で、オシラサマは遊ぶのが大好きなので「オシラあそばせ」をする事によって上機嫌になりそこの家の人々を守ってくれる、らしい。

かつては各家庭で家族が執り行っていた行事で、今でも東北地方の多くの地域でこのような形態の「オシラあそばせ」が行なわれているが、青森ではある時期からイタコが執り行う場合が多くなってきた。イタコがオシラサマを遊ばせ、その際に御先祖様からのメッセージとしてその年の注意事項などを告げていくのだそうだ。例えば「今年の暮れには孫が交通事故に遭うから気をつけるのだぞよ〜」みたいな感じで。

こうして「オシラサマあそばせ」というオシラサマ信仰の一番重要な部分にイタコが深く関与し、独特の信仰形態が醸造されていくのである。

今、津軽地方には3000体程のオシラサマがいるという。

 

さて、話を久渡寺に戻す。

久渡寺では毎年5月に大祭が行なわれる。

この大祭には多くの人が自分の家のオシラサマを持って集まってくる

奇麗に飾り付けられたオシラサマは毎年この大祭に来てお経をあげてもらい、オシラサマとしての格を上げるそうだ。

久渡寺でオシラサマ遊ばせの集団祭祀を始めたのが明治20年頃、比較的新しい行事ではあるが、今や国の無形民俗文化財にまでなってしまった。

津軽の民間信仰を語る上で欠かせない存在にまでなったこの久渡寺のオシラサマの大祭。津軽一円はもちろん遠方からもオシラサマのランクアップを目指してやって来るそうだ。

まさにオシラサマのメッカ

今日、ここに集まっている人達もオシラサマの供養というか法要をしに来ているのだ。

 

本堂隅の控え室のようなところでは皆さんオシラサマのセッティングに余念がない。

 

桑の木で出来ているオシラサマの本体は30センチ程の長さだが、木で出来たスタンドのようなものに装着している。

その上に白布を巻き、さらにその上に絹のオセンダクを着せる。最後に鈴や首飾り、場合によっては冠や手などもつけるという。

 本堂の奥の方にあった超豪華版オシラサマ。雛人形のように男女一対になっており、金の飾り物がきらびやかだった。

もう、ここまでくると「東北の素朴な民間信仰」とかいうレベルじゃなくて、もう、物凄い本気モードに突入しているのである。

当然、こういった法要の場ではある程度見栄の張り合いという側面もあるのだろうが。

戦時中には軍服を着たオシラサマもあったという。また、観音堂の裏手にあった土蔵には祭り手がいなくなった無縁オシラサマを安置しているという。

この久渡寺型オシラサマは過去の信仰形態を単に伝承しているだけでなく、現代風にアグレッシブに進化している点が実に興味深い。

今でも新しいオシラサマが年々誕生しているということだ。

 オシラサマなんて古い迷信でしょ。な〜んて言っている輩。久渡寺で現在進行形のホットなオシラサマ信仰の姿を見るべし!

 


2004.6.

珍寺大道場 HOME