成福院/和歌山県高野町

高野山奥の院墓地には戦没者の慰霊碑が多い。その中でも気になったのがコレ。

高野山摩尼塔奉賛会という団体が建てたパゴダ。昭和55年に建てられたものでビルマ(現ミャンマー)方面の戦没者の遺骨を納めてある。

ちなみに手前で拝んでいるお坊さんは他家の墓の供養をしているので本文とは関係ありません。

 

内部にはパゴダ型の骨壷が並んでいる。大名墓が建ち並ぶ墓地に建つビルマ語の墓標とパゴダはかなり異質な雰囲気を醸し出していた。

 

で、このパゴダを建てた成福院の摩尼寳塔に行ってみた。

場所は奥の院と壇上伽藍を結ぶメインストリート沿い。周辺には土産屋や食堂、宿坊などが並ぶ高野山でもとりわけ賑やかなところだ。

 

 これが成福院摩尼寳塔である。六角二層の寳塔風の建物だ。

正直いって建築的にキテる建物が少ない高野山においてかなりイカれた、じゃなくイカした風貌の寺だ。

 

建物の脇にはビルマの高僧と思われるお坊さんの像、そして入口にはビルマ渡来の獅子、そして高野山摩尼寳塔宗教美術館の看板が。

おおお、ぐぐっとミャンマー気分が盛り上がって来たぞお〜!

内部は中央に六角の須弥壇がありいわゆる日本の普通の仏像が安置されている。

ちなみに上は吹き抜けになっている。従って外から見て二階の部分にある手摺はダミーということになる。

須弥壇をぐるりと囲む回廊にはミャンマーの操り人形やパネルの展示がなされていてビルマ寺院を彷佛とさせる。

 

 ←いかにもビルマ仏ですね。

 

その中にあった地獄絵図。ヒモでまとめて引っ張られているところが恐ろしい。

深刻な場面なのについつい呑気な雰囲気が漂ってしまうのがビルマ画の良いところ。

突然通路の真ん中がパネルで遮断されている(上写真中央)。何故かといえば地下の戒壇巡りがあるからだ。

恐らく参拝者が戒壇巡りを素通りしてしまうのでパネルで参拝路を制御したのではないか。

それとも物置か何かだった地下室を改装して戒壇巡りを後から作ったのだろうか?

 

真っ暗な通路を歩いて行くとビルマ仏が出迎えてくれた。この戒壇巡りは丁度中央の須弥壇の真下に当る。

 

イイ感じでビルマ仏が安置されている。

そしてビルマ仏といえばコレ!

である。

日本でこの電飾光背を見られるところはあまりないと思うので、それだけでもここに来る価値はある筈。

 

展示の後半は戦争関係のもの。

パンフレットによればここ成福院の前住職がタイ留学中、戦争が起こり軍属僧としてビルマに入り、その悲惨な戦争の現場を体験したのがそもそもの始まりだという。帰国後、遺骨収集団に参加したりミャンマー(ビルマ)との交流を続けているらしい。

そんな背景からつくられたのがこの摩尼寳塔なのである。

従ってこの摩尼寳塔の本来の用途はビルマ戦線での戦没者の慰霊の為なのだ。決して電飾光背がメインな訳ではない。

というわけで心して戦争関係の展示を見る。

多くが当時使われていたものの展示だった。その中で特に印象的だったのが、ビルマ戦線で敗走中の兵士が詳細に書き綴った日誌である。

それを読んでいると戦争の生々しさがイヤでも伝わってくる。

戦友達が次々死んで行く地獄のような日々を書いたある意味一級品の戦争史料である。ここへ行かれる方は是非読んでいただきたい。

ちなみにこの塔のテーマは「地獄」「極楽」「戦争」「平和」の四つ。

私のようにお気楽に寺巡りをしてきた人間と地獄を見てきた人間とのビルマという国に対しての捉え方のギャップに愕然とする。

物凄く重いものを肚にためつつ成福院を出る。


成福院を出ると賑やかな大通りで、そこには高野山らしい薬局が。

タイシー胃腸薬、弘法灸など、渋いネーミングのラインナップが並ぶ。

 

その隣にあったナゾの店。いや、店鋪ですらないかもしれない。本の背表紙や貼紙のタイトルの物凄さよ。

さっすが高野山!
成福院のHP
2003.5.

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