京浜伏見稲荷神社/神奈川県



以前から気になっていた川崎市中原区にある京浜伏見稲荷神社に行ってみることにした。

場所は新丸子駅の近く。

中層マンションと商店の多く並ぶ一画にその神社はあった。



噂では境内にキツネがたくさんいるのだという。

想像していたよりもこじんまりとした規模だ。

それでも塀の向こうに建つ本殿は結構大きそうだが。




入口。

ムサコ(武蔵小杉)のタワマン群が見える。

思いの外、タワマンが近い、というかデカいので気分的にはタワマンが覆いかぶさってきそうな印象だった。




で、鳥居。

先程こじんまりとした、という印象を述べたが、住居や商店が密集している地域なので、周囲に比べたらスケール感は大きい。

高さは14メートル。この鳥居も圧倒的な存在感を放っている。

前の道が狭いので目いっぱい下がらないと全景を撮影するのすら難しい。

鳥居の両脇の石の狐は高さが4.5メートルもある。




鳥居の足元にも白狐が。

片方は宝珠、片方は子狐を抱えている。




境内に入ると最初に目に飛び込んでくるのがこの社殿。

九棟流れ造りというそうな。

成程。破風が多く棟だらけだ。

何か生成AIで「派手な神社」とか入力したら出てきそうな建物だ。




まずは拝殿にて参拝。


拝殿前には…



めっちゃキツネがいる!




稲荷のキツネといえば石像が陶器のものがほとんどだが、ここのは…コンクリかな?

ペンキ塗りされているので素材は定かではないが、ツルンとしたマチエールは塑像っぽい感じがする。




それよりも何よりもこの色合いだ。

白狐が一般的だと思うのだが、ここのは白だけでなく、オレンジ色や黄色、クリーム色などに塗られていて賑やかだ。




しかも耳や鼻先や目口も塗り別けられている。

そして目つきがチョット恐い。




拝殿右手にもたくさんのキツネがいる。

聞けば108体のキツネがいるそうな。




アイラインがばっちり描かれているので遠くから見ても目の部分がよく見える。

目つき…




池を囲むようにたくさんのキツネが睨みをきかせている。

この池は琵琶湖の竹生島弁財天を祀っているとか。




親子キツネ?夫婦キツネ?




岩陰にもキツネ。




自由なキツネの群れはそれまでの左右対称の定型化したキツネの像とは明らかに違っている。





しかも一体一体、岩の凸凹に合わせて造っている。

つまりオリジナルの一点モノなのだ。




池の水を飲もうと恐る恐る水面に近づこうとするキツネ。

この辺の表現力も見事だ。

ちなみに水に浮かぶのは形代で、自分の分身として水に浮かべて悪いものを祓ったりする。




神様が鎮座したという磐座。

それにしても多様なキツネたちだ。

表情やポーズが違うので一体一体見ていると時間がいくらあっても足りない。

しかも社殿の脇や岩陰にもいるので油断ならない。

本当に108体あるか数えてみたが、途中であきらめました。


中々楽しいキツネウォッチングであった。




この神社の創設者。

この神社は昭和26年に創建された比較的歴史の浅い神社だ。

ちなみに108体のキツネ像は昭和39年に作られている。




カラフルな末社。

ここにもキツネが祀られている。




小さいながらも彫り物が見事な社。




境内はこんな感じ。

そんなに広くない敷地に何とか建物などを配置している感じ。





境内の南側にはもうひとつの見どころが。



コンクリで出来た人工富士である。

ミニチュアの富士山、といえば富士塚を思い浮かべる方も多いだろうが、ここのは上に登る為のものではなく、あくまでも富士山を象ったオブジェ的なものである。

石碑には平成23年建立とある。結構新しい富士山なのだ。

山頂付近はコンクリだが、裾野の辺りは富士山の岩石が使われているようだ。




中腹には富士山の御神霊岩を祭ってあるという。




そして富士山の裾野はさらに続き…




何と加賀の白山に繋がっているのだ!

白山は修験道が信仰する山だ。




ただ、何故稲荷神社の境内に白山や富士山のミニチュアが作られているかは謎だ。

しかも神社創建から60年も経ってから。




説明書きには「ご託宣により」とだけ記されていた。

うむ。

他に何の説明も要らない、これ以上ない説得力を有するパワーワードが出てしまった。

こちらも謹んで納得せざるを得まい。





派手な社殿、たくさんのキツネ、そして富士山、おまけに白山…

狭い境内に見どころがぎっしり詰まった神社だった。


このテーマパーク的な楽しさの根底には何があるのだろう。


戦後の混乱期を抜け出せていない時期、この神社は誕生した。

そこには貧しさと希望と不安がないまぜになっている庶民の心のよりどころを創ろうとしたのだろう。



戦時中の重々しい国家神道から脱却して、より庶民的な自由な信仰スタイルを目指したのではなかろうか。

そんな創建当時のエネルギーが今でも継承されているような気がした。




2022.07.
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