覚王山再訪記/愛知県名古屋市
覚王山の毎月21日に行われる縁日に行ってきた。
少しおさらいをする。
覚王山の日泰寺の周辺にある八十八ケ所のミニ霊場は感動的なまでの超高密度霊場密集地帯であり、しかも単なる小さな祠ではなく一軒一軒独立したお堂で、なおかつ毎月21日になるとそれぞれのお堂の管理者が各お堂につめて参拝客にお接待をするというすんばらしい縁日なのだ。
朝8時。地下鉄の覚王山の駅から一歩外に出ると街は縁日モードである。
駅から日泰寺に続く参道は通行止めとなり、すでに露店も半分以上は開店している。
漬け物、篭細工、暦売りといったクラッシックなものからクレープ、タコ焼きといったオーソドックスなモノまでずらりと軒を並べている。
そんな露店をひやかしながら日泰寺に着く。山門前の千躰地蔵堂も普段は外から眺めるだけなのだが今日は開帳しており、中に入って近くで参拝出来るようになっている。
山門を潜らずそのまま千躰地蔵堂の裏手にまわる。そこから八十八ケ所の霊場が始まるのだ。
これが霊場の内部。
普段は扉を閉めているが今日はこんな感じ。
参拝客がお賽銭をあげるとお堂詰めのおばちゃん(なぜかほとんど女性だった)が「ハイ、ごくろうさま」とかいいながらお菓子などをお返しに渡す、という塩梅になっているようだ。
周りの人を見ると皆ビニール袋に小銭を詰めていて一軒に1円程度しかあげていない。
そのかわり路傍の石仏も含めて全部の賽銭箱に賽銭しているようだ。
早速、私もお賽銭をあげてみる。
はい、ごくろうさん、とビニール袋に入った菓子を貰った。
面白いので次から次へとお参りしていたらあっという間にカバンがお菓子で一杯になってしまった。
そしてあっという間に小銭がなくなってしまった。
一緒に行った我が愚息大喜び。でも小銭がなくなってしまい仕方なく写真だけを撮っていると、子供が来るのがよほど珍しいのか、わざわざ呼び止められてお菓子を貰っている。
ここに来る時は家中の小銭を集めて持ってくる事をお勧めする。
各お堂では色々と趣向を凝らしてお接待をしている。こちらのお堂ではほうろく灸をやっていた。
こんな小さな祠にもちゃんとおばちゃんがいる。この辺が最小ブースだろうか。
訪れたのが比較的早い時間だったのでまだ開いていないところや掃除中のところなどもあったがおおむね開いていたようである。
前回、訪れたときは誰もいなくて寂しい雰囲気だったが、この日は大にぎわい。
時代は21世紀に突入し、新しい科学技術や社会常識が次から次へと登場するが、こんな風景を見ていると、別次元の話のように思えてくるが、昔ながらの信仰形態がこうして連綿と続いていて、しかも時代時代に即してそれなりの進化を遂げている事を我々は忘れてはいけないと思う。
そんな社会のメインストリームから一歩距離を置いたところでの独自の進化論の中から思いもよらない創造物が産まれてくるから。
私がいつも訪れている珍寺というのもその一現象だと思うし。
祠が密集しているところでは隣同士が月に一度21日に顔をあわせる仲なわけで皆お隣さん同士フレンドリーな印象があった。
露店の仏様。こんなところの賽銭箱にも皆熱心にお賽銭をあげて拝んでいる。
小銭がなくなったのと雨が激しくなってきたので途中で参拝を切り上げた。
今度は天気の良い日に小銭をたんまり持って来たいものである。
帰る頃になったら人がどんどん増えて来た。日泰寺の境内にもたくさんの露店と参拝客が来ていた。
帰りの覚王山の駅はもう、おばちゃんラッシュで大変な騒ぎでした。
日泰寺の境内にあった地蔵?誰かの像?
とにかくベビー服、毛糸帽子、よだれ掛けは似合ってないぞ。
2001.12.
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