ハウパーヴィラ 虎豹別墅 HowParVilla


シンガポールといえばマーライオンにラッフルズ、それにゴミ捨て罰金、ガム禁止というお国柄。一見「なめとんのかこらぁ!」と思われる貴兄も多い事かと思う。実際に街は清潔でトイレも綺麗、公共交通も完備、国民の9割が団地住まい、と何だか他の東南アジア地域の国と比べてしまうと、面白くないのではないか、と思われがちだが、この国には何といってもタイガーバームガーデン、現在名ハウパーヴィラ、虎豹別墅があるのだ。もうココさえ見られればどんな罰金国家だろうがそんな事はかまわないのさ。

あ、一説にはシンガポール最低の観光地という形容もあるようだがアタシにとっちゃアジアの至宝ですわ。

さて、タイガーバームガーデンといえば香港のタイガーバームガーデンが有名だが、以前お伝えした通り、現在は閉鎖されてしまっている。ひょっとしたらもうなくなっちゃったかもしれない。しかしシンガポールのタイガーバームガーデンは一時閉鎖のウワサも聞こえてきたが無事再開し、その怪しい中華キッチュの極限世界を惜し気もなく訪れる人々の網膜に焼きつけてくれている。

 

 

ここで香港とシンガポールのタイガーバームガーデンの経緯とこの奇妙キテレツな庭を生み出した胡文虎というマネーの虎ならぬ珍寺の虎の話を少しだけ。

 事の起こりは胡文虎( AwBoonHow;1882〜1954)と胡文豹(AwBoonPar;1884〜1944 )の兄弟が塗り薬「タイガーバーム」(萬金油)の販売の拠点をミャンマー(ビルマ)のヤンゴン(ラングーン)からシンガポールに移すところから始まる。シンガポールに移転したのが1926年。翌年、1927年にはホワイトハウスと呼ばれる豪邸を建て、早くもシンガポールで一国一城の主となる。この時点で庭には石庭や動物彫刻などといった今日のタイガーバームを連想させるに充分のエレメントが作られていたそうだ。鹿のカタチのベンチとか。この後10年にわたってこの邸宅の庭には徐々に奇妙な彫刻や築山が増設されていく事になる。

そして胡兄弟はさらなる飛躍を求めて香港に進出していくのであった。1932年、香港に進出した胡文虎は香港の第二婦人のために邸宅を建てる。その建設地の岩場の傾斜地を見て・・・その時、虎がひらめいた・・・(「マネーの虎」風に読んでね)。

そこに人々のために伝統的な中国の神話や道教の教えなどを啓蒙する場所にしよう・・・香港のタイガーバームガーデン誕生の瞬間である。そうこうする内に第二婦人の邸宅が完成。しかしその一部は動物園と奇妙な彫刻庭園。タイガーバームガーデンと命名され一般に公開されたのであった。1935年の事である。

一方、シンガポールに作られていた奇妙な庭園も1937年に完成した。これがシンガポールのタイガーバームガーデンである。

 その後、シンガポールは日本統治下に置かれ、タイガーバームガーデンも日本人に接収されてしまう。シンガポールを脱出した弟の胡文豹は1944年、ミャンマー(ビルマ)にて死亡してしまう。戦後、虎豹別墅は日本軍寄りの現地人に壊されてしまい、かなり荒れた状態となり、その後1954年には兄の胡文虎もハワイで他界してしまったのだ。

シンガポールのタイガーバームガーデンは胡文豹の息子(胡文虎の息子という説もあり)が跡を継ぎ、1950年代後半からまたしても徐々に彫像が増えて来た。しかし1971年にその息子も亡くなるとまたしても荒れた状態が続いたという。

果たしてタイガーバームガーデンの命運や如何に・・・

 

 

時は流れ話は1980年代にワープします。

1982年頃、香港のタイガーバームガーデンは地価上昇のあおりを受けて敷地の半分がついに取り壊されてしまった。

1985年にこれまで胡一族(胡文虎の娘の胡仙)の個人資産だった香港のタイガーバームガーデン(虎豹別墅)は胡文虎財団の監理となり胡文虎花園と改名。文化財の申請を当時の香港政庁に申請するも拒否されてしまう。そして以前香港編でお伝えした通り近年閉鎖に追い込まれてしまったのである。合掌〜。

 

一方、シンガポールに目を転じると、長い間公園として無料開放されていたタイガーバームガーデンは1988年にシンガポール観光協会に引き取られ、民間のテーマパーク運営会社に転売された。

そして2年間の工事期間を経て1990年、ハウパーヴィラドラゴンワールドという有料施設のテーマパークとして営業を再開したのである。

これで目出たし、目出たし。という訳にはいかないのが渡世のつらいところである。

 

シンガポールのハウパーヴィラドラゴンワールドも経営がたちいかず、また別の経営者の手にわたってしまい、2001年からはオリジナルタイガーバームガーデンと銘打って、テーマパーク以前の姿に戻り、その後再びハウパーヴィラの名前に戻り現在に至っている。近年、非常にバタバタした経緯を辿っていて事態は流動的な気配もあるので、もしかしたら近い将来に閉鎖、なんて事もあるかも知れないので御注意を。

 

胡文虎が夢見た究極の中国文化伝導施設は紆余曲折を経て結果的には香港が閉鎖、シンガポールの方は胡文虎のコンセプトにより近い方向性で保存がなされるという対照的な結末となってしまったのである。

マレー半島の先端に華咲いたアジア最強の妄想庭園

裸一貫からビッグになった虎の脳内世界の残滓を堪能しにハウパーヴィラに向かったのだった。

 

 

以前にも記したが、私が珍寺道開眼のきっかけとなった香港タイガーバームガーデンの兄弟分という、個人的に非常に思い入れが強い物件で、しかも広大かつ見所満載なので3つに分けてみました。

おおまかに分類すれば入り口から猿山までのプロローグ部分(ハウパーヴィラその1)、西遊記などの一代立体絵巻を中心とした築山群(ハウパーヴィラその2)、池から一旦入口に戻り、さらにテーマパーク化された時に増設された部分(ハウパーヴィラその3)としてある。これは実際の順路とは異なるが、歩いていて目に付いたところへフラフラと行ってしまった結果の行程なので御容赦願いたい。それでは遥かなる虎豹別墅の旅へいってらっしゃい。

同行者が兄弟ページ「珍スポ大百科」にハウパーヴィラの様子を記しておりますので、併せてご覧下さい。

 

 参考文献

虎豹花園〜TIGER BALM GARDENS 〜A CHINESE BILLIONAIRE'S FANTASY ENVIROMENTS/JUDITH BRANDEL&TINA TURBEVILLE


ハウパーヴィラその1  ハウパーヴィラその2  ハウパーヴィラその3

 

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