岐阜県の南部、輪之内町。
地図でご確認いただければお判りの通り、揖斐川と長良川に挟まれた地域だ。
この揖斐川と長良川、さらに木曽川という3本の大河が集まっている地域には昔から輪中と呼ばれる集落が点在している。
輪中とは周囲を堤防で囲った集落の事で、中世からその存在は知られている。
治水土木が発展した現代でも、この辺りでは石垣が高く積まれた家や忽然と現れる堤防、数多くの溜池や今にもあふれそうな水位の運河が流れ良くも悪くも水と背中合わせの環境による特徴的な風景が続いている。
中でも抜群に面白いのが水害の時に仏壇を屋根裏に上げてしまう「上げ仏壇」。
仏壇の上にロープと滑車が付いていて、まるでエレベータのように屋根裏に避難してしまうのだ。
そんな上げ仏壇からは、信仰の篤さとテクノロジーで生きながらえてきたこの地の人達の気質と歴史が垣間見えるような気がするのだ。
(海津市歴史民俗資料館 展示)
…と、まあ、ココまでは前説でして、今回はそんな輪中を見に行った際に見つけた凄いお方のハナシです。
大きな川の支流がさらにいくつもの支流に枝分かれして毛細血管のように張り巡らされている輪之内町。
そんな毛細血管のような川沿いを走っているとこんな光景が見えてきた。
この地方特有の溜池の真ん中に不思議な造形物が立っている。
いや、まごう事なき何者かの後姿だ。
しかしどう見ても大仏や大観音の類ではなさそうだ。
もちろん近付いてみる。
で、こちらがその正体。
むむむ。
水中から浮上してきた乙姫様、という図式なのだろうか。
それにしても見るもの全てを唸らせずにはいられない破壊力抜群のこの造形力は如何だろう。
裾や袖のわざとらしい跳ね具合、頭上の栓抜きみたいのは、天女とか乙姫がヒラヒラさせてるアレでしょ?全然ヒラヒラしてないもん。むしろスポンッ!と栓が抜けそうだもの。
極め付けがそのお顔。女性の美醜をどうこういうのは趣味じゃないけど、コンクリ女だから敢えて言わせてもらいます。
相当、不細工です。つか怖いです。
後姿もまた珍妙。奥尻昆布のような板状の髪の毛、その合間を縫うように龍が這っている。
再び正面を見たら龍のアタマは乙姫サマの頭上にありました。
ハッキリ言ってデッサンとか設計とか計画なんて概念は彼岸の向こう。典型的な妄想先走り型のコンクリ像。
超私好みじゃないですか。
その乙姫サマの視線の先には亀に乗ったアノ人が。
ハイ、浦島太郎さんですね。
正面から見ると分かり難いのだが、亀の下の水色の部分は一応波になってます。ブルドーザーじゃないんです。
こちらも恍惚の表情で乙姫サマを見つめております。
チョット岸部一徳入ってますか。
波間の亀に乗った浦島太郎が海中の乙姫サマに向かって進んでいくの図、ということなのだろう。
向かった先にあんなデカくてコワい乙姫サマが待ってたら、こっそり亀さんに「運転手さん、やっぱ戻ってください」と言ってしまうかも…
浦島太郎の裏にはフラミンゴのように足の長い鶴や白馬の群れがいたりしてちょっとしたコンクリ動物園の様相を呈している。
赤い鳥居が並んでいる。
ココから先は稲荷社、となっているようだ。
鳥居脇の看板を見ると、この稲荷神社の由来が書かれている。
句読点が多く、古文調な言い回しが多いため非常に判り難い由来書きなのだが、要は何を言いたいのかというと…
…良く判りませんでした。
兎に角、かなり前のめりな方が前のめり気味に個人的にお稲荷さんを勧進した、という事が書かれてあったみたいです。
一番の関心事である巨大乙姫の由来については詳しくは記されてはいなかったが、浦島神社縁起絵巻なる絵巻を基に乙姫と浦島太郎を造ったそうです。どうでもいいすか?
また乙姫建立の直接の理由ではないにせよ水害や水の事故についての記述もあった。
周囲を水に囲まれているお土地柄、当然水難除けも期待されての乙姫像建立なのであろう。
一見キテレツなコンクリ像だがその点、この土地に立っている必然性のようなものは感じる。
社殿自体は小さなものだが、周りのコンクリ造形物が濃くって濃くって。
拝殿の前、左右に立つ灯篭。
コレでもか!てな具合に昇り龍と降り龍のアップダウンコンビ。
特に降り龍の有無を言わさぬ迫力ったら。
恐ろしいまでの勢いで見ているこちらに迫って来る。
激しい龍の造形とは裏腹に灯籠の火袋の部分にはファンシーな装飾が施されている。
王将の駒や狐、亀、千両小判や恵比寿サマ布袋サマ。
造形技術がどうの、バランスがどうのといった戯言を寄せ付けない俺竜全開のコンクリパラダイスであった。
2008.2.
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