大垣市の西部にある
御首神社。
御首とは随分物騒な名前だが、この神社は
平将門の霊を鎮めるために創建された神社なのだとか。
時は天慶3(940)年、関東の新皇を名乗った平将門が戦で命を落とした。その首級は京都に運ばれ反逆者の首としてさらされたのである。
この将門の首にまつわる怪奇譚は数多い。何ヶ月も腐らなかったとか時折眼を開いて叫んだとか。
中でも将門首伝説の中で飛び切りふるっているのが
関東目指して首が飛んでった伝説である。
関東目指して飛行中の将門の首は美濃国上空にて迎撃、その首が墜落した地点が、ここ御首神社なのだ。
将門の首は東京大手町にある将門の首塚にあるんじゃないの?という声も聞こえてきそうだが、実際には全国のあちこちに将門の首の飛来地伝承は存在するという。
東京の首塚もここの御首神社もそのうちのひとつ、ということになる。
事の真偽はともかく、いかに
将門が超人的な存在として扱われていたかが伺えよう。
さて、そんな由緒をもつ神社だけに現代では
首から上にご利益がある神社として人々の信仰を集めている。
首から上のご利益、といえば頭部の病気平癒はもちろん学業成就、特に合格祈願が多い。あとボケ防止ね。
個人的には首切り転じてリストラ除け祈願、なんてのも期待していたのだが、絵馬を見る限りその類のお願いはなかったな。
神社の一画に小さな建物があった。
中を見て仰天!
無数の防止が壁に架かっているのだ。
これだけ帽子が並ぶとギョッとする。
説明書きがあった。
ここでいう神様とはこの神社の主祭神である平将門のことであろう。
帽子は奉納者の代わりとして奉納されている、ということは首を失った将門に
自らの首を捧げているという呈なのかな?
だとしたらこの帽子がズラリと並ぶ光景の向こうには
無数の自ら生贄と化した生首が並ぶ風景が隠れている、ということなのか。
そう考えるとより一層不気味に見えてくる。
だんだん大勢の人が頭を垂れているように見えてきたぞ。
特に多いのは黄色い学童帽。
幼稚園や小学校の卒業を期に奉納するのだろう。
帽子一個一個に付けられた札には様々な願い事が書かれているが黄色い帽子には学業成就祈願が多かった。
野球帽、麦藁帽子、農作業用の帽子、制帽…。お土地柄中日の野球帽とかたくさんあってもよさそうなものだが意外と少なかった。
奉納している人はライト感覚で帽子を奉納しているんだろうけど、考えてみたら祟り伝説で有名なあの平将門に自らの身代わりを捧げるのって結構勇気いりますよねー。
私自身は祟りもご利益もあまり信じてないのでどっちでもいいんですけど。
本殿の前にはコンクリで囲まれた神饌田があった。
こんなところで米がとれるのだろうか?