未完の大観音/岐阜県



話は
みんな大好き八画文化会館の創刊号の記事から始まる。



今、改めて見ると火傷しそうなチンチンに熱い本。

雑誌としての完成度とか販売部数とかは知らないけれど、個人的にはこの創刊号すごく好きだったなー。


…その隅っこに
見慣れないコンクリの大観音の記事があるのを見逃さなかった。


異様な情報量の雑誌だったが、結局個人的にはこの大観音のハナシが一番衝撃的だった。

だって、
俺が知らない大観音ですよ!やばくないすか(自意識過剰なのは自分でも承知してるので、ご心配いただかなくても大丈夫です)。


それ以来ずーっと気になっていた大観音だったのですよ。



…てなわけで、行ってきました。奥飛騨地方(いつもながら詳しい場所は明記しないので知りたい人は八画文化会館を買えばいいんじゃない?)。

ところが!

満を持したつもりが、この日はこれでもか!というくらいの豪雨。

台風の影響で大雨洪水雷警報が発令され、近くの川が恐ろしいほどに荒れ狂っている。


そんなタイミングで現地に到着。

事前にリサーチしていた道の入り口についた瞬間に「あ、こりゃダメだ」と諦観。

だって道(といっても獣道に近い野良道)が川になっちゃってるんだもの。しかもライン下りが出来そうな激流。

せっかく来たけど、この豪雨でこの道は
絶対無理

ああ、これはきっとこの記事を書いた
八画サカイさんの軽い呪いだな、と納得し、周辺のスポットなどを回ったりご飯食べたりして、時間をつぶさせてもらいました。




で、数時間後。

再び現場へ戻ってみた。

さっきよりは小降りになってる!よし、行ける!



現場の様子です。件の観音像は温泉街の裏山の中腹に位置している。

赤丸の中ね。




拡大。



判りますか?ちょっと頭だけ出てるでしょ。





温泉街の中にはこんな素敵なゲートがある。



事前のリサーチでここから大観音に行けないのは判っているのだが、まずはここから攻めてみることにする。

狭い道を進んでいくとキャンプ場の残骸のようなものと一軒の家が現れる。

ここは大観音を作った人の家なのだ。



「ごめんくださーい」

すると声をかけるまでもなく
髭が胸まで伸びた仙人のような爺様が窓際に座っていた。

話を聞けば、爺様は静岡からこの地に転居して30年、かつてはキャンプ場や大観音などを作っていたが、今は客が来ないので庭をぼんやり眺める生活にシフトしたのだとか。

昔は人が来たけど、ホラ、今は不景気じゃない?だからやめちゃったんだよ〜。

とおっしゃる爺様。




これだけ突っ込みどころ満載な事業を「不景気だから」の一言で片付けるあたりが豪快すぎるぞ。





とりとめのない話を総合すると…

1;大観音は未完成のまま放置。理由は金がないから。

2;ここからは大観音には行けない。道がもうない。

3;庭の木も剪定したいけど(めんどくさいから)やらない。

4;昔は景気が良かったからそれなりに人は来たんだけどなあ〜。

…といった感じ。


要は観光用に作りかけたが、
完成する前に頓挫しちゃった大観音なんだな。これが。

爺様が景気が良かった、と言っているのは多分バブル期のことなのだろう。

彼が静岡からこの地に越してきた30年前、日本は狂乱の時代だった。

有名観光地にほど近いこの地でも恐らく何をやってもそこそこ人は来たのだろう。

そんな時期に作られた大観音だが、今はメンテも出来ず、放置状態なんだとか。





天気がいい日にまたおいで。と言われたが、いや、ここまた来るの結構面倒くさいっす。

できれば今日、大観音様に謁見したいんで、今から何とかします。

というわけで、大観音へと続く道へ向かう。



先ほど訪れたときは濁流下りみたいになってた道だが、雨が小降りになったので道の表面は見えている。

よし、行こう。

恐る恐る車で山道を登っていく。

辛うじて轍があるということは、たまーに車が来るのだろう。あの爺様以外ここに来る人はまずいないだろうが。

さっきまで激流と化していた道である。結構ふにゃふにゃになってる御様子。

しかもところどころ道の端が崩れちゃってますけど大丈夫ですか?




しかも乗ってきたレンタカーは容赦なくどでかいワゴン車。

事前に小型車で予約しておいたのだが、当日になって「サービスでアップグレードさせてもらいましたー」とか言って3ランクアップされてた。

その時は「おおお、小型車料金でこんなデカい車、大ラッキー!」とか思って喜んでいたのだが、この時点では完全に裏目。

しかも擦り傷が許されない150キロしか走ってない新車。

どうせアップグレードするならRV車にしてくれよ…という泣きごとを言っても遅すぎ。


脱輪、スタック、滑落、転落、ゴロゴロ、崖下、燃料漏れ、発火、爆発、ドカーン!…等々様々なネガティブなコトバが頭の中で駆け巡る。

ついでにキズ、ヘコミ、自走不能、免責保証制度、ノンオペレーションチャージといったレンタカー業界のネガティブワードも頭の中でグルグル…。

そんな弱気になったとき心の中で叫ぶ言葉はただ一つ。

でもやるんだよ!やるんだよ!やるんだよ〜!やるんだよ〜!(by根本敬)




…物凄く慎重に進んだが、やがて道は木々に覆われて進めなくなる。



ここからは徒歩しかない。


雨はまだ降っているが、豪雨ではない。

よし、行こう。




それから歩くこと数分(意外と大したことはなかった)、藪をこぎながら進み、ふと顔を上げると…




おおおお!大観音様じゃー!

やっとお会いできました〜(涙涙涙)!




その御姿は想像していたよりも大きかった。

像だけで12〜3〜4メートル、台座込みで17〜8〜9メートルといったところか。



イメージとしては秩父の護国観音くらいのスケール。

未完とは言いながらほぼ完成している。



しかも
思いのほかカッチョイイじゃないか!



ご尊顔はエラと鼻がしっかりしていて、観音様というよりはクメールあたりの仏像を彷彿とさせる。

コレ、あの爺様が独りで作ったのかあ。すげえなあ。



あまりの興奮にすっかり忘れていたが、気が付けば雨が止んでいるじゃないか!

おお、これは大観音様の思し召し、バッチリ拝ませていただきますよ!




横に回ってみると右手に何か丸いモノを持っているのが見える。

恐らく巻物のようなものだ。もしかしたら高崎観音をイメージしているのかもしれない。


そういえば高崎観音の持ってる巻物って鎌倉大仏からの恋文なんだってね。ぷぷぷ。





横顔を見ると、鼻の部分などが粗削りだ。



ゆくゆくは修正する予定だったのだろうか。


背後。



頭にかぶったケーブのようなものが背中で若干破綻しかかっている。

したがって真後ろから見ると何か別の神様みたいなのだが、それは、まあ仕方ないです。







足元を見ると、基壇部からさらに脚立がかけられており、その上に賽銭箱らしきものがあった。



残念ながらとても登れそうにない。こんなエクストリームな賽銭ないよ。

足元に賽銭だけ置いてきた。




大観音の背後には小さな小屋があった。



ここで爺様が作業していたのだろうか?

それとも観光客用のトイレか何かだったのだろうか?

今となっては知る由もない。



これで謎の観音様の参拝は終了。

振り返ると、その姿は木々の間にひっそりと隠れてしまった。

誰に見られることもなく、ただ森に佇む。まるで森の精のようじゃないか。







バブル期に爺様が勢いで建立した観音様。

ある意味、時代が生み出した嬰児とでも言うべき大観音だが、今改めて見ることはそれなりに意義はある。筈。多分。



それは狂った時代の生き証人として、という意味じゃない。

大観音を建立すれば何らかの道が開ける、と信じた人が確実に存在したという証として重要なのだ。



考えてみて欲しい。今、この国で財を成した人が大観音を建立する可能性はあるだろうか。

ホリエ、三木谷、村上、柳井、孫、森…

誰も大観音建立なんてしそうもないでしょ?しょうがないんです。財の所有の仕方が違うんだから。





我が国で大型の大観音や大仏が建立されたのは随分前になる。

大仏建立新興国の中国でさえも経済減速に伴って新しい大仏プロジェクトはほとんどない。

そろそろ覚悟して欲しい。


もう、新たに巨大仏が建立される時代は終焉を迎えつつあるのだ。


今、いくつかの新興国で大仏プロジェクトは計画されている。

しかし、それらが完成した時点で巨大仏の時代は恐らく終焉を迎える。


そういう意味では秘宝館やストリップ、見世物小屋と同様に、現在進行形の現象から、「かつてあったブームの残照」として大仏は語られていくのだ。

日本においては20世紀的な現象、アジア全域を見渡しても20世紀から21世紀初頭にかけての極めて限定的な現象としてアーカイブされる事案として扱われていく筈だ。


日本とアジアで誰よりも大仏を見てきた俺が言うんだから多分間違いないです。



では、どうしたらいいのか。

ここの大観音のように人知れず存在する大観音(や大仏)を発見し、報告し、共有することで、

「日本にはコンクリで巨大仏を作るカルチャーがあったんだ」ということを後世に伝えなければならない
んです。


それをしないと20年後には「大仏って奈良と鎌倉にあるアレっすか?」とか本気で言ってきますよ小僧どもが。

いや、今でも言ってそうだけど。




やや極論だが
20世紀のアジアは大仏建立の時代だった、と声高に言い続けなければならないのだ。











草をかき分けながらの帰り道。

でもこういう場合って何故か行きよりはるかに楽なんだよね。






2016.09.
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