成田の札打ち習俗2/千葉県


さてさてさてさて。

1月に出会った成田の札打ち習俗

もうお腹一杯だよ~、との声も聞こえてくるような気もするが、一切ガン無視させていただいて、再び成田の札打ち習俗を訪ねてみようと思う。

何故?そりゃあ俺にとって面白いからに決まってんじゃん!



…という訳で前回訪問の1ヶ月後、若干の情報収集をした後、再び成田の地にやってきましたよ。

今回もよろしくお願いしますよ、成田!







という訳で最初に訪れたのはJR成田駅すぐ近くの権現神社




駅のすぐ近く(駅前交番のすぐ裏!)なのにエアポケットのように人がいなかった。




そんな一画に9体の大師ズ。




台石に札打ちがなされていた。


成田駅周辺をぶらぶら。



えらく渋い飲食街を歩いているとその中でも激渋の店を発見。

カクテルバー東洋。

何でも激渋のマスターが出迎えてくれるらしいのだが、昼間ゆえスルー。今度は夜に伺いたいものだ。



そんな飲食街を過ぎ、てくてく歩いて行くと谷津の台墓地に出る。



ここは成田の市街地の中でも一番大規模な墓地だとおもう。




墓地はかつて成宗電車という電車が走っていたトンネルの上にある。




その一画に弘法大師の石像が並んでいる。




大師像は9体。

右端にお地蔵さんが一体だけ立っている。

札打ちは剥がされてはいるがその痕跡はしっかり残っていた。




墓地を後にし、次なる札打ちスポットを目指す。

給水塔が目印だ。



途中、個人の住宅の中にセルフ三重塔があってビックリ!




で、給水塔の近くにある稲荷社。




お仙稲荷といい、花柳界からの信仰が篤いそうな。




その裏参道の入口に札打ちスポットが。




お地蔵さんのように見えるがこれも弘法大師。




前にはミニ弘法大師が。




近くには守護札が刺さっていた。




そんなこんなで成田山新勝寺に向かう。

前回お伝えしたように成田山新勝寺の西側には成田山公園という広大な公園がある。

園内には梅園や池、平和大塔、書道美術館などがあるのだが、その一画にも札打ちスポットがあるというのだ。



多くの石碑に囲まれるようにそれはあった。




屋根、弘法、札打ち。サウナ水風呂外気浴並みに完璧な組み合わせ。




前回、札打ちは成田山内では行われていないと述べた。

ここも成田山の敷地内ではあるが、厳密な意味での境内とも言い難い。公園だし。




もう一箇所、公園の外れにもあった。




札打ちと弘法大師の紙が貼られていた。

ここもまた巡礼地なのだろう。





というわけで新勝寺へ。

本堂で参拝し、境内をウロウロ。




本堂前の三重塔。

軒下の装飾がエグい。




同じくコテコテの輪蔵。

以前は回せたのだが、今は回すことが出来なくなってしまった。




仁王門脇の札打ち。



これは前回お伝えしましたね。




そのすぐ近くにある参籠道場。

先達の修行をする道場だそうな。



その裏手にも札打ちスポットがある。

ここは前回訪れた時は入場禁止だったが、今回は特に立ち入りの制限がなかったのでじっくり拝見しますよ。

多分1月は人出が多いので入れなかったんでしょう。



中央に地蔵、左右に6体の弘法大師。

札は弘法大師にのみ貼られている。

あくまでも札打ちの対象は弘法大師なのだ。




ここと先程の仁王門脇の札打ちだけが例外的に新勝寺の境内と言えるエリアにある。

これは想像だが、以前は現在の仁王門から先が本来の新勝寺の境内だったのではなかろうか。

それが参拝者の増加によって境内が拡大し、仁王門の前のエリアも境内となったのではなかろうか。

そう考えれば上記2か所の札打ちスポットも昔はギリギリ新勝寺の外だった可能性がある。




1月には縁起物を売る屋台が並んでいたエリアもそれ以外の時期は全て無くなっていた。

1月にしか来ないもんで、逆に何もない風景を初めてみましたよ。



高いところから狛犬が睨みを利かせていた。




そんなこんなで新勝寺から門前町へと歩いていく。



参道から少し入った小道にも札打ちスポットがあった。

ちなみに後の建物は羊羹で有名な米屋の社屋である。




ダブル弘法。

後の石碑はミカンの木を千本奉納した記念碑。




風雨に晒されて戒名の文字が段々薄れていく。

消える頃には成仏できるのだろうか。




西参道から少し入った三叉路。



ここにも札打ちスポットがある。




樹木の暴れっぷりが凄い。

ただならぬものを感じるぞ。




で、札打ち。

お堂は最近建て替えられたようでとても綺麗。



6体の弘法大師が並んでいた。

それぞれに一枚づつ札があった。記されていた戒名は全部同じだった。




注意書きが。

剥がすとき前面貼りされたら大変だもんね。




というわけで紙札はヒラヒラと風に舞っていた。




隣は道祖神の社。三竹山道祖神という。




成田周辺の道祖神は何故か小さい石の祠を奉納する習俗がある。

有名なのは中里の道祖神だが、それ以外にもこのように石の小祠が奉納されている所が多々ある。

何故この地域にだけこの習俗があるのか、御存じの方教えてください。




今度は成田駅の南側に移動。



不動尊旧跡という場所。

京成線に架かる橋のたもとにある。




入口に地蔵があり、その奥に札打ちスポットがある。

左の柵の下は京成線が走っている。




こちら。

ブロック造だが、後の壁が大きく抜けているので圧迫感はない。




4体の弘法大師の台座には沢山の紙札が貼られていた。




お地蔵さんにも貼られていた。



少し成田駅側に戻る。



京成線とJRに挟まれたエリアの道の分岐点に小さなお堂がある。




中に石像が一体祀られていた。




どう見てもお地蔵さんだがこれも弘法大師なんだろうか。



JR成田線の西側はぐっと低くなっている。



何となくこの先は札打ちはないかな、と勝手に思っていたがどうやら何カ所かあるようだ。


訪れたのは市営成田霊園



市営霊園と言えば新しい墓地なので伝統習俗とは無縁だろうと思っていたらさにあらず。




キッチリ札打ちされてました。

弘法大師の石像も意外と古そうなので元々共同墓地があってそれが発展して市営の墓地になったのかもしれない。




霊園から少し北東にあった小さなお堂。



ここも札打ちがされていた。




お堂には「八十五番」と記されていたので、ここも八十八カ所霊場のひとつなのだろう。








最後に訪れたのは囲護台稲荷神社




丁度、神社の祭礼が行われていた。




札打ちを見に来たのだが、取り敢えずお稲荷さんにも参拝。




で、神社の裏口のようなところの近くに小さなお堂がある。




お堂の前の石碑に札打ちがなされていた。

よく見るとお堂自体にも札打ちの痕跡があった。




中を除くと当然いらっしゃいました弘法大師様。





以上で札打ち巡りはお終い。

二度目の札打ち調査で判ったのは思いの外、成田山新勝寺から離れた所にも札打ちスポットが存在していたことだ。




しかも調べてみると成田の八十八カ所はまだまだあるし、それ以外にも番外霊場的なものが多数あるという。

また来年祈祷に行った際にでも探してみよう。




という訳で、現場からは以上です。




参考文献;常総地方の大師まわりー成田組十善講事例報告書ー小嶋博已1978 

2022.02.
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