北総の道祖神2/千葉県



北総地方に人知れず伝わるミニ石祠奉納の習俗。

その全容を明らかにすべく北総道祖神ローラー調査(?)を決行中。


キングクラスの中里の道祖神を見たところで、調査は後半戦を迎える。


と。

その前に休憩がてら成田市下総歴史民俗資料館で関連資料を見せていただく。

そこでこのミニ石祠奉納の理由を知ることになる。


まずこのミニ石祠奉納の意味だが。

基本的には日本全国の道祖神信仰と同様、健脚だったり、足の病平癒の祈願という意味が込められている。


以下、読んだ資料にあった道祖神信仰の諸々。

・印幡地方郷土研究(北総の道祖神)

草鞋奉納が一般的だが、石の奉納もある。

下金谷 祠にある小石を他人に見られないように持ち帰り、足の悪い部分を撫で、治ったら代わりの石を納める。

八代町雁丸 石を借りて塩水で清め局部を擦り、願が叶えば新しい石をひとつ加えて返す

東和泉 手足を怪我した時には指定の日までに治してくれるよう願をかけ、三日に一度というように日を定めて詣でる。
治ると石工に頼み将棋の駒形(15cm×5.5cm位)に細工した石かあるいは形の良い自然石を奉納している。

東和田 手の形を奉納する。

中里 安産というよりも子宝祈願

他、火事除け、盗難除けとして石を借りる風習があるという。




ここからは実際の道祖神を見つつ説明しよう。

中里より1㎞ほど北にある成田市高の道祖神



ここもたくさんのミニ石祠が奉納されている。




着目して欲しいのはミニ石祠の手前の丸石だ。

かつては石祠ではなく、この丸石を借りて、倍にして奉納していたようだ。


それが時代が下るにつれ家形に変化していったのだろう。




神崎町に移動する。

ここも道祖神が数多く存在するホットスポットだ。



三叉路にある道祖神。




ミニ石祠の奉納はなかったが、犬卒塔婆があった。

千葉県から茨城県に渡って広域に分布する習俗である。



神崎町の中心部近く。



利根水郷ライン(国道356号)沿いにある道祖神




石祠が4つ。




その裏側にミニ石祠が奉納されていた。

先程の小石奉納の続き。

道祖神、あるいはドウロクジンは足が悪い、という説がこの地方には伝わっている。

ドウロクジンは弁天の事を密かに好いていたが、弁天に逃げられてしまった。

でも足の悪いドウロクジンは追いかけられず、ムラの端で弁天を待っている、という言い伝え。


あるいはドウロクジン、弁天にだまされ恨んでいる説も。

それで弁天が戻って来た時に小石を投げつけるため小石が積まれているという。

(以上、日本の民俗 千葉より)




同じく神崎町の中心部。



水郷ラインと脇道の三叉路にある道祖神




ここにもミニ石祠が奉納されていた。

中央の道祖神には小さいお地蔵さんや招き猫まで奉納されていた。

まあ、色々あって賑やかでいいじゃないの。




で、ミニ石祠。

風化劣化しているものもある。

小石に代わってミニ石祠が奉納されるようになったのは近世になってからだという。

またどういうわけか草花を供えないところが多いともいう。

ついでに言うと足の病だけでなく、子供の食い初めの時に丈夫な歯が生えてくるように、このミニ石祠を舐めさせたりもしたという。

(以上、大栄町史 民俗編)



同じく神崎町内。



何と取り壊し(改装?)作業の最中だった。




木の根元にはミニ石祠が確認できる。

そういえばこの辺りの道祖神は木がセットになっていることが多い。

恐らく最初は三つ辻に木を植えただけだったが後にそこに道祖神の石祠が建ち、その後に小石を奉納するようになり、それがミニ石祠に変化していったのだろう。



神崎町大貫の道祖神



ここも大きな木とワンセットになっていたが最近伐られてしまったようだ。




後に伐られた木が横たわっていた。








香取市に移動する。



大戸にある道祖神




小さな集落の中の辻にある道祖神だが、やはりミニ石祠がたくさん奉納されている。




これも大戸にある道祖神



利根水郷ライン沿いの変形五差路にある。




辻、木、石祠、そしてミニ石祠の黄金セット。





段々日が傾いてきた。



佐原の街にほど近い道祖神



隣には水戸や鹿島と成田、千葉を結ぶこの地方の大動脈である国道51号が走っており、大型トラックがビュンビュン走っている。

その隣の小山の中にひっそりと道祖神が祀られている。




まるで周囲から隔絶されたエアポケットのようなところだ。

隣には時代劇に出てきそうな古道が延びている。




ミニ石祠の数は少ないが、破風が伐られており、凝った造りだ。

やはり商都として栄えた水郷佐原の近くだからか、農村部のそれよりもエレガントな感じがする。





香取駅近くの道祖神。



ミニ石祠は見られず、石祠自体も崩れて寂しい感じだった。



これ以東の道祖神も幾つか巡ったが、佐原の道祖神を最後にピタリとミニ石祠奉納は見られなくなった。

この辺で道祖神めぐりも終了。




匝瑳~多胡~成田~旧大栄町~旧下総町~神崎町~旧佐原市(現香取市)~香取と巡って来たが、想像以上に盛んな信仰だった。


単純な足の神様、という範疇を超え、安産であったり子宝の神様、さらに子育ての神様、さらに弁天との悲哀譚まで

様々な広がりを見せたこの習俗は逆に言えばこの地方の人々にとって身近で大事な信仰なのだろう。




そしてそれらの道祖神信仰の中心地でもある中里の道祖神になぜあれだけたくさんのミニ石祠が集中したいたのか?

ひとつは中里の道祖神だけが子宝祈願の受け皿となっていたから。

そしてもうひとつはやはり中里の道祖神が抜群に願いが叶ったのだろう。

民間信仰というものは正直なもので、いくら由緒が正しくても歴史が古くても有名な人が助けられても実効性がなければ誰も見向きもしないのだ。


中里の道祖神はまさに成果主義そのもので、成果があるから御礼の小祠もどんどん増えていく。

それを聞きつけて参拝者もどんどん増えていく。

その結果が今のこの光景なのだろう。


民間信仰のすさまじい熱を感じさせる奉納習俗であった。






2023.08. 2023.11..
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