善光寺東海別院。
現在は合併して稲沢市になっているがかつては祖父江町であった。
この日は「そぶえイチョウ黄葉まつり」というイベントが町内で開催されていた。
そういえば祖父江には見事な銀杏の木が多く、あちらこちらで驚くような発色の銀杏の黄葉が数多く見られた
さて、そんなイベントの余波もあり多くの参拝客が訪れていた善光寺。
善光寺様式の本堂は屋根の修復をしており、本堂全体が足場とシートで覆われていた。
果たしてこんな足場だらけのお寺で戒壇巡りが出来るかどうか一抹の不安はあったもののとりあえず本堂に上がってみた。
黄葉まつりの一環なのだろうか南山大学落研の寄席もあるようでチョット楽しみ。
屋根の修理ということで堂内は関係ないのかと思ったら、中もガンガン足場パイプが組まれていてまるで工事現場の中を参拝しているような不思議な気分。何だかありがたみが無いなあ〜。
とはいえ戒壇巡りはバッチリやってました。
好い好い。コレさえ見られれば、屋根が無かろうが堂内でユンボを振り回そうが(イヤ、別にそんな事してないですけど)本尊が無かろうが(イヤ、それは困りますね)こちらは一向に構いませんよ。
で、うれしはずかし「かいだんめぐり」。
入口は工事現場よろしくデカい看板があるのですぐ分かる。
日本すきま漫遊記においてへりおすさんがこの善光寺東海別院を訪れた際、「戒壇への入口は本堂内の内陣の畳敷きの場所に唐突に開いている。」という感想を述べられておられるが、工事中だったので、コレでもか、というほど案内の矢印が満載されていて、戒壇巡りするんでしょ?この寺に来てしない訳ないでしょ?するんだよね!みたいなノリになっていた事を付け加えさせていただく。
長野善光寺と同様、内陣右手から本尊方面に向かって入口がある。
地下に降りる階段は左側が入口、右側が出口となっており何やらメッセージが。
「右手で腰の位置の壁にふれながらお進み下さい」とある。
長野善光寺を例に出すまでもなくスタンダードな戒壇巡りとは真っ暗な地下通路を壁伝いに歩いて行き、途中錠前を触ることで本尊と結縁出来て極楽往生を果たせる、という寸法になっているのだが…
ここのは途中からこんな事になってました。
そして歩を進めるといきなり現れるゴージャス過ぎる光景。
「極楽をこの世で拝める善光寺」のキャッチフレーズ通り極楽浄土の風景がジオラマ仕立てで表現されている。
善光寺の象徴、阿弥陀、観音、勢至の三尊像をヒエラルキーの頂点として様々な菩薩が闊歩する極楽の光景。
三尊像の両サイドにはインドのお祭りの山車みたいな紡錘形のツインタワーが異彩を放ちまくり。
蓮の華が咲き乱れる池には菩薩サマが楽器を奏で、踊っている様子が現されている。
それにあわせて踊る土人形の小僧供。
それらが怪しい光に照らされどこか官能的で退廃的な世界を創出している。
極楽というよりは生バンド付きのグランドキャバレーみたいで凄く楽しそうだぞ。
それぞれの部分は橋で連結されており、ファンタジーなのに何となくリアルな整合性があるところが面白い。
よく見れば壁に描かれた楼閣などからも太鼓橋が延びており、その辺もファンタジーとリアリティーが交錯していて精神的平衡感覚がどんどん消滅していく一因かと思われる。
橋には菩薩サマがフルーツ盛り合わせを運んでいて景気のいいお客様の来店を物語っている。
恐らく上座に控える方からの注文だろうが「ぱぱ〜。フルーツ頼んでぇ〜」というおねだりがあったことは想像に難くない。
極楽のジオラマといえば地獄の添え物程度にしか認識されていない我が国の仏教界においてこれ程アグレッシブに極楽を捉えた光景があっただろうか?
これまでタルい極楽しか見てこなかったが、日本でも数少ない魅力的な極楽の姿を提示された思いであった。
人気のキャバだけにチップもごっそり…って違うだろ!
今まで死んだら地獄に行きたいと密かに願っていた小生だが、こんな極楽だったら是非行ってみたい、そしてフルーツの盛り合わせをドーンと頼んでみたいっ!…とも思っちゃいました…
本堂前にあった看板によると、本堂起工が大正8年。戒壇巡りが完成したのが昭和9年。
その時点で先ほどのゴージャスな極楽ジオラマが出来ていたとは思えないが、もし戦前にこんな凄いモノがあったのだとしたら、われわれは日本の戦前の仏教の姿を大いに考え直さなければならないだろう。
何故かガチャポン式おみくじ。
その他本堂には普段であれば地獄絵が展示されているそうだが、工事中という事でこちらは見ることが出来なかった。
…この後、学生の寄席を見たが、見ているのが可哀想なほどつまらなかったです…ガンバってね。
2006.11.
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