メキシコ珍寺武者修行、次は
グアナファトへと向かう。
(注;私ではありません)
ここもまた
銀の採掘で栄えた中世の姿を色濃く残す街である。
車はグアナファトの中心部に入る。
しかし中世の街並みは見えず、古そうな地下トンネルや開渠道をうねうねと走る。
実はこの地下道、かつては
地下河川だったのだ。
元々は銀の採掘を行っていた坑道を利用したもので、今は上流にダムが出来たので車道に転用したのだ。
従ってこの街の旧市街は地下に車や路線バスが走る珍しい
二層構造の街になっている。
地下に車道が集中しているので地上は歩行者専用の道が多い。
つまり中世の町並みがそのまま残っているのだ。
その町並みは世界遺産に指定されている。
宿に投宿した後、日の暮れたグアナファトの街に繰り出してみる。
旧市街は歩いて回れる規模の街だが、所々に立派な建物が建っている。
こちらは市街中心部にある
フアレス劇場。
メキシコで最も美しい劇場と言われている。
内部の客席や天井、ロビーなどの装飾もそれはそれは豪華だった。
劇場の隣では楽団が演奏をしていた。
これは
エストゥディアンティーナと呼ばれ、大学生が中世の学士の恰好をして演奏するもので、中世スペインからの伝統だとか。
他にもあちこちにマリアッチやギターの弾き語りなど、あちこちから様々な音楽が聞こえてきた。
街をぶらぶらして喉が渇いたので一杯やる。
テキーラをサイダーで割ってライムと唐辛子を添えたカクテル。
素焼きのカップに入れて貰った。
この後、このカップはテキーラやメスカルを飲む際に大活躍した。
この日は大晦日。
気が付くと教会前の広場は身動きが取れない程、大混雑していた。
前回オアハカで正月を迎えた際はとんでもない乱痴気騒ぎだったので、今回も大変な事になるんだろうなあ、と覚悟しその時を待つ。
3…2…1…
フェリース アニョ ヌエヴォ(新年おめでとう)!
うぎゃー!
物凄い量の花火が連打しまくり。
しかも真上にあがってるので燃えカス(というより燃えきってないので火の塊そのもの!)が頭上からじゃんじゃん降ってくるので危ない事この上なし。
しかも身動き取れないので落ちてくる火を避ける事すらできないのだ。
かくして壮絶な乱痴気騒ぎの中、新しい年を迎えたのであった。
服とか穴開かなくて良かったよ…。
で、翌朝。
狂乱のカウントダウンパーティーも終わり、平静を取り戻した街を散策。
グアナファトは
カラフルな建物が並ぶ街としても有名だ。
真っ赤な建物が続く路地。
歩いているだけで目がチカチカして楽しくて楽しくて仕方がない。
サンフランシスコ教会。ピンクの外壁が特徴だ。
その教会の向こうに見えるのが
ピピラの丘。
丘の上には巨像も見える。よし、行こう。
昨夜訪れたフアレス劇場の脇に丘に登るケーブルカーがある。モチロン乗りますとも。
ケーブルカーで丘の上に着くと巨像がお出迎え。
メキシコ独立戦争の英雄ピピラ像だ。
丘から見るグアナファトの街の眺め
陳腐な表現でホントごめんだけどまるでおもちゃ箱をひっくり返したような街だ。
一軒一軒違う色で塗られており、それらが集積しているのだ。
街を見下ろすテラスからビールなどを呑みつつグアナファトの街を堪能する。
右下の黄色い建物はグアナファト大聖堂(Basílica Colegiata de Nuestra Señora de Guanajuato)。
その奥に見える白い大きな建物はグアナファト大学。
いわゆるグアナファトのど真ん中エリアだ。
テラスでビールを飲んでいると、世界各国の調子乗った感じの美女達が次々と現れて彼氏に写真を撮らせている。
幸せアピール、大変っすね。
で、再び街中に。
グアナファト大聖堂。
実は昨晩、花火の燃えカスを浴び続けていたのはここの教会の前。
昨夜は凄い人出だったのに今日は静かですな。
昨日訪れたフアレス劇場の向かいにある
ウニオン公園。
小さな広場だが、外周にある並木の枝が綺麗に刈られており、まるでひとつの緑の壁のようになっている。
ここもまたあちこちで色々な人が演奏していて賑やかだ。
イダルゴ市場。駅舎を改装した市場だけに天井が無駄に高い。
食品から日用品、民芸品などが揃う。
そのすぐ隣は
ガビラ市場。
ここは食堂街だ。店のおばちゃんがメニューをひらひらさせて客引きをしている。
2階の店の方が客引きに真剣だ。
で、昼飯。
牛肉と何かのトルティーヤ。美味也。
市場辺りが一般の観光客のそぞろ歩きルートの西端だ。
その先は道を歩く人もぐっと少なくなってくる。
そんな中にあった葬儀屋。
店内には立派な棺がズラリと並んでいた。
で、
ここからが本題です(←遅いっ!)。
グアナファトの中心街から西側は上り坂になっている。
最初は緩やかな登り坂なのだが、段々斜度があがってくる。
気が付けばバスが黒煙を吐きながらヨレヨレと上っていく感じに。
地図で見たら軽く歩けると思ったのに、思いの外上りがきついのと標高が高いので(2000メートル)息が苦しくなってくる。
ああ、こんな事ならバスかUBER乗ればよかった~。はあはあ。
…と、後悔し始めた頃に本日最大の目的地が見えてきた。
Museo de las Momias de Guanajuato、つまり
グアナファトミイラ博物館。
ここはミイラを展示している博物館?なのだ。
ここでグアナファトのミイラ事情を。
この街は高地なので非常に乾燥している。
従って
遺体を放っておくと自然にミイラになってしまうのだという。
つまりエジプトなどの人工的なミイラではなく、あくまでも勝手に出来てしまうミイラであることは心に留めておいていただきたい。
余談になるが、日本の即身仏もミイラといえばミイラなのだが、当事者の方々はミイラという呼称をあまり好まない。
それはエジプトのミイラを念頭においての事だと思うが、即身仏は死後加工された人工的なものではない、という思いが強いのだろう。
そもそもミイラの語源がミイラを造る際に用いられる薬品の名称に由来しているので、ナチュラルにミイラ化した即身仏はミイラじゃない、という…
…あれ?何言ってるんだか判んなくなってきちゃったぞ…
兎に角、ここのミイラは人工的に加工されたものではない、という事。
早速、入場してみよう。
グアナファトでは人気のスポットのようで、入口には列が出来ていた。
若干の待ち時間を経て博物館の中へ。
確かカメラチャージがあったように記憶している。
(この先ミイラ画像が続きます。ミイラが苦手な方はこの辺で閲覧を止めときましょう。お好きな方は引き続きどうぞ。)
館内はミイラに次ぐミイラ。
その数
200体以上!
ほとんどのミイラは立った状態で展示されている。
おどろおどろしい感じを想像していたが
意外とあっけらかんとした展示だ。
展示されているミイラも、何て言ったらいいんだろう、カッサカサなので生々しさはなく、やはりミイラとしか言いようがない。
寝姿のミイラ。本来はこのような姿で埋葬されていたのだ。
衣類を身に着けたミイラ。
何だか今にも動きそうなリアリティ。
沢山のミイラが展示されている。
中には棺に納まったミイラも。
中には叫んでいるようなミイラも。
しかしこれは苦しんで死んだ訳ではなく、乾燥過程で口が開いてきてしまうのだという。
悦楽の表情にも見えなくもない。
子供のミイラもある。
頭に王冠を被っているようだ。偉い子なのか?
他にも数多くの子供のミイラが並んでいた。
子供のミイラまで展示するのか―。なんか凄いな。
世界最小の
胎児のミイラというのもあった。
気になったのがミイラの上に展示されていた写真。
亡くなった子供を撮影するいわゆる
「死後写真」。
写真で死んだ子供の姿を永遠に残そうとしたもの。
死後写真のコレクターとして有名な大分県別府市の「
書肆ゲンシシャ」(←ココ、本当に面白いからお薦め!)店主さんのお話によるとまだ庶民には写真が珍しい時期に流行した現象だという。
その頃の写真は現在と違って高価だったので、裕福な人しか撮影出来なかった。
主にヨーロッパや北アメリカで流行したが、メキシコでもこうして死後写真は撮影されていたのだ。
ここのミイラは1870年から1984年のものとされる。
画質からして恐らくここに飾られた写真は20世紀前半のものだろうか。
欧米に比べてそんなに裕福ではないメキシコで写真を撮影するのは大変だったと考えられる。
それだけ子供への愛情に溢れていたのか、それとも金持ちが多かったのか、どちらかである。
いずれにせよ
死が貧富の差がなく平等に訪れるように、綺麗にミイラ化するかどうかも神の思し召しなのである。
この地では幾ら金をかけても、金をかけなくてもミイラ化するのは平等だ。
ただ、後の世に残るほど状態のいいミイラになるかどうかは運次第だ。
延々とミイラの展示が続いて、チョット飽きてきたところに
お化け屋敷的な部屋があった。
何故かここだけおどろおどろしい雰囲気。
単にミイラだけじゃ飽きちゃうから、というサービス精神の発露なのだろうか。
何故か貞操帯。
秘宝館的、な?
親子のミイラ。
拷問されたミイラ。
それまでが淡々と展示してあったので、最後の展示はチョット意味が解らなかった。
博物館の隣には大きな墓地があったので寄ってみた。
花や花輪が捧げられていていかにもメキシコの墓、という賑やかな印象だ。
実はこのような広いスペースを占有する墓は一般的ではない。
基本的には裕福な人の墓地である。
じゃあ、一般の人はどうなの、というと…
いわゆる
ロッカー墓地である。
メキシコではこのようなロッカー墓地が一般的になりつつある。
しかも永遠に使えるわけではなく、ある一定期間を過ぎると
遺体は外に出されてしまうのだという。
その後、出された遺体はどうなるのか詳しくは判らないが、多分共同納骨堂のような所に撒かれているような気がする。
その中でも比較的生前の形状を残しているミイラだけが、博物館に保管される、という仕組みなのだろう。
そう考えると、博物館に展示してあったのは
スパーエリートミイラ軍団という事になろう。
生前のキャリアも財力も関係ない。
ただ状態が良いだけで展示され、そうじゃないと(多分)バーっと撒かれちゃう。
「お、俺は生前金持ちだったんだ。金は払う!だから俺も博物館に入れて…ギャー!」
…てな感じになってるんだろうか?
死んでもルッキズムは続くのだ。あー大変。
次の修行へVAMOS!