諸津観音/長崎県



壱岐島の北東部に諸津観音というところがあると聞きつけ行ってみることにした。



遠くから見ても山の中に巨像やその他もろもろが見えてきて、もう…ドキドキするじゃねえか!




登っていくと大きな石像が見えてきた。




十一面観音だ。高さは7~8メートルほどか。




で、入口に到着。

何かお品書きの数が凄い。

ドキドキするじゃねえか!




ここは通称諸津観音、正式には白歯雪公園という。

お寺ではなくここの出身の人が私費で造り上げた私設公園なのだ。

あまり概要を知らずに来たわけだが、その規模の大きさにややビビる。




入口付近に貼ってあったポスター。

雑誌の切り抜きとかではなく、お手製のポスターだ。

どうやら諸津観音とは別に石垣があるようだ。

テレビの番組でも紹介されてみたいですね。


先に概要を述べておく。

平成17年に着工されたこの公園は3つのエリアに分かれている。

最初に諸津観音を中心とした仏教テーマパーク

次に先程の石垣

最後に資料館を中心としたエリア、の3つだ。




最初に仏教テーマパークのエリアから攻めて行こう。



入口からしてのけぞる。こんなですよ。




樹の上に鳥がとまっている門。

これ全部石造りなのだ。

普通このサイズってコンクリで造るじゃないですか。

それをわざわざ石で造るって。

この公園のマジ度が伺える。




門を潜るとこの公園の謂れが刻まれた石碑が。

この一大テーマパークを造り上げた本城氏という人物の人生が刻まれている。

戦死した父、病弱な母、15歳で福岡に就職、港での姉との別れ、帰島、事業失敗、離島、起業、成功、観音との出会い、故郷への恩返し、と言った大河ドラマ顔負けの感動ストーリーだ。

最後に島を離れる時の姉との涙の別れのシーンが。余程辛かったんでしょうねえ。



…という訳で、この公園は大阪で財を成した本城氏が故郷に錦を飾るべく造ったものなのだ。

嗚呼、淡路島の世界平和大観音と同じパターン也。




で、この公園の中心である聖観音像

石像で高さは9メートル。立派な観音サマである。




観音サマを拝んでいると誰もいないのに背後から音がする。



見れば小さなブースの中で坊さんが木魚を叩いているではないか。

これ、参拝者が来るとセンサーで感知して電動で腕が上下に動くのだ。

ちなみに訪れた日には電気系統のメンテしに来たおじさんが一瞬現れたがそれ以外は誰もいなかった。

もちろん参拝客も私だけ。

ここを通る度に坊さんがポクポク木魚を叩くので何だか申し訳ない気持ちになっちゃったよ。すまん。





傍らには謎の石の玉。

宝くじ当籤したみたいですよ。




境内、もとい園内には次から次へと仏像やレリーフが続く。

これは三十三観音のレリーフ。

ところどころにその出自などが説明されている。




涅槃像。台座には釈迦入滅の様子が彫刻されている。

もうなんかこの時点でお腹いっぱいなのだが、地図を見る限り序の口の序の口のようだ。

最後までもつのか?俺。




高台にあるので海がよく見える。




園内の所々に出現する本城氏の孫の写真。

多分本人にも親にも確認してないだろうから、ここでは名前と顔は伏せておく。




石仏エリアを過ぎると道は下へ下へと下っていく。




道沿いにはずーっとお地蔵さんが並んでいる。






段々木々が覆いかぶさって薄暗い感じになってきたところで水子コーナーが現れる。




水子観音を頂点に足元には数多くの水子の石像が並んでいる。




一生懸命登っている水子も。




抱き水子。




賽の河原。




その先には魚籃観音。




さらに上を見上げると木々の間に最初に見た十一面観音がそびえていた。

ただし直下から見るには木が邪魔!




牛供養のための牛塚と馬頭観音。

ちなみに壱岐牛は超希少価値のブランド牛である。





大量の石仏を拝しつつ谷底に着く。そこで第二のエリアに到着する。



それがこの石垣である。


幅35メートル、高さ30メートルの手積みの石垣だ。



山田さんという親子が二代で築いた石垣だという。

石は1~2センチ程度の小さなもので、それを50年かけて造り上げたのだという。

その後、草むらに覆われていたものを本城氏が整備したのだ。

ちなみに本城氏も子供の頃に初代山田さんが石を積んでいたのを見たことがあるらしい。




さて、石垣の後はまたしても石仏に次ぐ石仏エリアだ。



長寿地蔵や弘法大師、さらに河童などが次から次へと現れる。




そんな一画にある元寇位牌堂。

ここ壱岐は元寇の際、島の攻防を巡って戦地となったのだ。

その戦死者の霊を慰めようというものだ。




建物の中には元寇殉難物故者諸精霊位と書かれた位牌があった。




壁にはズラリと壱岐での戦いの様子が示されていた。




位牌の下にあった木の人形。ムクリコクリ人形という。

ムクリは蒙古兵、コクリは高句麗兵のことだ。

壱岐では「早く寝ないとムクリコクリが来るぞ」、と子供を脅すそうな。

それだけ今でも恐怖の象徴なのだろう。




親孝行の図。




本城氏は早くに両親を亡くしたそうで、生前親孝行出来なかった思いをこの石像に込めたのであろう。

何かタイのお寺とかみたいですね。




十二支守り本尊を過ぎると最初の大観音に着いてようやく仏教パークエリアを一回りした事になる。

いやー、歩いた、歩いた。




門に今巡って来た各種お品書きが描かれていた。

異様なまでのサービス精神が詰め込むだけ詰め込まれた場所だった。






ところがまだまだ終わらない。



お次は駐車場があるエリアに移動する。




まずは休憩所。


この公園のあまりの情報量の多さに心身ともに疲れてしまったので休ませてもらおうと思ったが、展示物が多くてキモチが休まらない…。



コレ雑誌記事の切り抜きとかじゃなくて自作です。




馬を担いだ人がいるし。



小休止の後再び公園に赴く。



十三仏。




愛、命の文字が眩しい。




いのち



中国から贈られた観音像。




水鉢がイカしてますね。




ビリケンさんが何故か3体。




センサーで来場者を感知し、自動で回る水車。




昭和の農機具や民具を展示しているふるさとの家。




こんな感じです。




ジープのタイヤが潰れてらあ。




そして歴史資料館。




戦争関連の展示。

父親が戦死した本城氏にとって思い入れの強い施設なのだろう。




明治天皇一家。中央は大正天皇か。




マネキンのチョイス…。




防空壕まで再現されていた。




お隣はまたまた休憩所。




白歯雪記念館兼休憩所でした。

もちろん休ませていただきますとも。

この記事の後半戦、やけに口数が少ない事にお気付きの方も多いと思うが、あまりの情報量にライフポイントが赤信号なのです。

(いや、前日の大宴会の疲れもあるんですけど)




椅子がいっぱい。マジで10分寝かせてもらいました…。助かりました。

館内には某政治家とのツーショット写真とか男嶽神社の欄干を奉納した感謝状とか色々ありました。




最後に駐車場脇に立つ塔。




内部には観音様が祀られておりました。

これにて諸津観音の全メニュー完了!である。






故郷への思いと過剰なサービス精神と仏教への過剰な愛がギュウギュウに詰め込まれた諸津観音。


言い換えれば昭和の珍寺ロジックが令和の世に出現したような凄すぎる場所であった




2022.05.
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