慈母観音/茨城県潮来市


 

東関東自動車道の潮来インターを降りるとそこは絵に描いたような新興住宅地である。そんな一画に敷地1万数千坪の寺域を誇る奈良薬師寺の末寺、慈母観音──水雲山潮音寺──はある。


この一帯は昭和40年代、日本列島改造バリバリの頃に造成計画された地区のようだ。 

そんな中に何故、広大な敷地を持つこの寺が建てられたのか・・・

実はここの寺はこの地区の造成計画に最初っから組み込まれていたのである。つまりこの地区と全く同じ歴史を共有するニュータウン寺院なのである。

この寺の開創は昭和44年。観光寺を中心とした門前町のようなイメージをこのニュータウンに重ねていたのかもしれない。なかなか大胆かつロマンチストである。

で、その夢を託した寺がどんな様子なのかといえば・・・


寂れ切っている。参拝者など何処にもいない。周囲もガラ−ンとした空き地やグラウンド(後日談;現在は中学校になったそうです)で、元々人の気配が少ないところなのだが、それにしても寂しい。


そしてさらに寂しさを強調させてくれているのが、敷地内にある門前市。
これは寺が出来てから自然発生的に出来た門前市ではなく、最初っから(つまりこのニュータウンが出来た時から)寺に組み込まれて作られたものである。屋根で被われたそのアーケードには20件近くの店が入るようにはなっているが、現在営業しているのは4件。あとはシャッターが閉まっていたりして空家になっている。どうやら以前から(最初から)この様子らしい。

前はグラウンドと空き地、後ろは人気のない寺、まあ、普通こんなとこで商売はしないわな。

そのアーケードも築30年近く。コンクリートの壁も黒ずみ、何だか那覇の公設市場の一番奥のほうを思い出させるが、それでも那覇には人がたんまりといるのでこんな寂れた雰囲気は微塵もない。

    

境内はガランとした芝生の広場を中心に本堂、不動堂、葬祭場、霊堂などが建っている。

    


コンクリート造ながら結構良く出来たこの建物を見ていると、またしても寂しくなってくる。

    

本堂裏手の池を渡ったところにこの慈母観音建立にあたっての記念碑が建っていた。そこに書かれている寺の「所信表明」を読むと、ますます寂しい気持ちになってくる。

結局、この寺で見かけたのは門前の店主4人と札所に暇そうにテレビを見ていたおばちゃんだけでした。 お寺貸し切り状態というものを体験してみたい御仁、是非行くべし。

 

情報提供はへりおすさんです
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