飛騨開運乃森/岐阜県高山市
飛騨高山である。
高山と言えば祭と古い町並みと飛騨牛を求めて全国から客が集まるド観光地だ。
その町外れに飛騨の古い建物を集めた飛騨の里というテーマパークがある。
真光教の本山を見下ろす素晴らしいロケーションのその駐車場の一画にこんな素敵な佇まいの建物が。
明らかにその筋独特のオーラを放つ建物の屋根には飛騨開運乃森、大七福神の文字が。
いかいでか。
建物は土産物屋で、お楽しみはその先にあるらしい。
店先の写真を見ると日本一の大七福神がいるそうな。おおおこれは凄そうだぞ。
と、やや前のめり気味に入場券を購入。すると御主人、同じ穴の狢オーラを嗅ぎ付けたかしたり顔で説明を始める。
それによると飛騨出身の左甚五郎にちなんだ飛騨の甚五郎コンビと呼ばれる二人が制作したとの事。
おお、そうですか、そうですか。では早速現代の左甚五郎のお手並み拝見といきましょう。
で、土産物屋の建物をスルーして屋外に出る。いきなりこんなお方がお出迎え。
まさかコレが現代の甚五郎の作品じゃあないだろうな・・・
で、園内というか境内にはこんな建物が並んでいる。
平屋を無理矢理二階建ての高さに引き延ばしたようなやけに背の高い建物だ。
高山といえば祭の屋台。屋台を格納する屋台小屋かと思ったらかつてのこの地方の米蔵を移築したものだそうだ(御主人談)。
何でも雪深い飛騨地方では冬、一階分が雪で埋まってしまうのでこのような形になったとか。
これだけでも面白い眺めなのだが、その建物いっぱいに大きな木彫りの七福神の皆さんが暮らしているのだから堪らない。


左から毘沙門天;ケヤキ7.5メートル、弁財天;栃5.5メートル、福禄寿;6.5メートルといずれも巨漢揃い。
これらは全部樹齢千年前後の大木から彫られた一木彫刻である。
ヤ布袋尊;楢3.5メートル。ちょっと甘えん坊。
中でも一番傑作だったのがこの吉祥天。毘沙門天と並んで最大クラスの7.5メートル。
他の彫像と違い、巨木の形を活かした造りで、遠目に見るとと吉祥天に見える木という印象。
そして面白いのはこの建物の内側両脇には障子で仕切られた部屋がある事。元々米蔵の時代からあったのだろうか。
倉庫の中の隠し部屋っぽくて面白い。
一番奥には一本の杉の木から彫られた恵比寿、大黒天。3.2メートル也。
ここは中に入れて裏側まできっちり見られる。
大黒さんの袋は木の瘤をそのまま使用したダイナミックなもの。
コレに触れば家内安全縁結び財福間違いなし!だそうです。
土産屋に戻り店先に飾ってある写真を見る。
ああ、こうやって搬入するんですね。
こちらが多分、飛騨の甚五郎コンビ(と誰か)。
山村佐藤兵衛氏と中村円正氏。
昭和56年に製作された大黒天の裏書きによれば当時山村氏が73才、中村氏が38才。随分年の離れたコンビだったようだ。
それにしても飛騨の甚五郎コンビというネーミングや一木彫りという形体、彫刻のセンスなどどこをとっても強烈なオヤジセンスに満ちていて大変よろしい。
見る人に媚びる事なく己の趣味趣向を貫くオヤジングマイウェイ。男子たるものこうありたいものである。
店先に飾られた徳利もオヤジングマイウェイ。
正しい!全てに於いて正しいぞ!
土産物屋で絵葉書と牛乳を買って外に出る。来た時は気付かなかったが外にも大きな元米蔵があった。
中には不動妙王が立っていた。
この辺、チョット飛騨の円空入ってます?
以上で開運乃森ツアーは終了。飛騨牛乳旨かったっす。
開運乃森を観た後、な〜んか消化不良感が残った。
よ〜く考えてみたら七福神なのに寿老人いないじゃん。え、じゃあ何で七体あったんだ?
恵比寿、大黒、布袋・・・と数えて行く内に寿老人のかわりに吉祥天がいた事に気付く。
そういえば寿老人のかわりに吉祥天が入閣している七福神もあったような気がするので、ま、いいんですけど何となく落ち着かないな〜
・・・などと思っていたら翌日、全く別の場所で寿老人に出くわした。

場所は古川町数河(すごう)。峠のドライブインの向いにこんな看板を見てビックリ!
車を停めて様子を伺うと、大きな鳥居とかなり凶悪な目付きのキツネがいる神社の一画にこんなお堂が。
いや、日本一の巨大木一本彫刻ですから大きいんですよ。
でもそれ以上に隣の鳥居とキツネが大きかったものだからひっそりと、といった感じでした。
中に入ればドドーンと寿老人が。
説明書きを読むと、何とこの寿老人も開運乃森の大七福神同様、飛騨の甚五郎コンビが製作したというではないか。
高さ約5.5メートル。昭和60年の作というから高山の大七福神群とほぼ同時期の作品という事になる。
恐るべし飛騨の甚五郎コンビ。
しかもコンビの片方の山村佐藤兵衛氏は地元の議員でもあり目の前の国道41号の誘致に尽力した人物でもあるという。
寿老人の左には山村氏の銅像が飾られている。
大抵こういった人って浮き世離れした人が多いのだが、社会的地位があってこういう事をする人もいるんですね。
ああ、スッキリした。これで高山の七福神と合わせて真の大七福神完成だ。
・・・と思ったら説明書きによるとここの堂内にある小さな七福神と合わせて飛騨七福神というのだそうな・・・
裾の中華風の凹みには硬貨がびっしりと詰め込まれてました・・・
で、さらに古川の街近くを走っていると今度は「日本一の天神様」なる看板が。
もう何が出てきても驚きません・・・
天神様が置かれているのは起し太鼓会館にある博物館の中央ホール。
大きさは3メートル程だろうか。
縁起書きによればやっぱり絡んでるアノ二人。
原形を飛騨の甚五郎コンビが製作しています。
平成9年に完成したこの天神様、しかし鑿をふるったのは飛騨の甚五郎コンビではない。
両氏とも鬼籍に入ってしまったのだ。
もし彼らが生きていれば間違いなくこの天神様も作ったであろう。残念な事よ。
何処に行っても「日本一の○○像!」ばっかり。左甚五郎と円空の木彫遺伝子が綿々と続くお土地柄。これが私の飛騨の印象です。
2003.9.
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