江戸川乱歩の「パノラマ島奇譚」を御存じでしょうか。
あの妖しくも恐ろしい世界が実際にあるとしたら、あなたはどうしますか。行きたいでしょう。あるんです、実は。北陸に。
という訳で、北陸である。小松である。ここにまさに乱歩の妄想世界を地でいったような空間が存在するのだ。
その名はハニベ巌窟院。奇妙な彫刻と地獄巡りが洞窟の中で渾然一体となって妖しいオーラを放つ北陸最強の珍スポットだ。
このハニベ巌窟院について少し講釈をたれるとしよう。
そもそもハニベとは埴輪を作る人のこと(土部師)であり、その現代のハニベである彫刻家が岩窟に院を築いたことからこの名が付いているのだが、このハニベ師、名を都賀田勇馬氏といい、あの朝倉文夫の朝倉塾長や日展の審査員なども務めた、戦前の彫刻界の重鎮だったらしい(パンフより)。
その御大、戦後になると何故か彫刻界からは姿を消し、石切場の跡地であるこの洞窟に籠り、風変わりな、というか●違いじみた製作、なのか宗教活動なのかよく分からない行動に走ったのである。
氏の「当院はハニベ師のみが後継する」との遺言通り現在はニ代目の都賀田伯馬氏が跡を継ぎ、ハニベ巌窟院を更なる珍スポットにするべく精進中である。
まあとにかく境内の紹介に移ろう。
境内の入口にはいきなり巨大な仏頭がデーンと構えている。
何でも高さが15mあるとのこと。
これは現在の院主が作ったもので、将来はこれに胴体をくっ付けて総高さ33mの大仏にしようと目論んでいるらしい。
それにしても15mの頭で33mの大仏って頭デカくねえか。
仏頭のまわりにはすでに妖し気な陶器の地蔵が来る者を出迎え「早く奥の岩窟に来て〜な〜」と言っている様でちょっと嫌。
で、池を渡るとそこからは登りの山道。
途中、おもちゃがびっしりと並ぶ水子地蔵堂(奉納されている水子地蔵は勿論院主製作のもの)の書き置きノートの内容にめっちゃディ−プな気分にさせられたりしながら、洞窟第一ラウンドの阿弥陀洞に着く。
石切場の跡地である。その辺の手造り洞窟とはスケールが違うのである。
広い。その広い空間に他の彫刻家が見たら泣いて悔しがる位の贅沢なスペースの取りかたで阿弥陀像や聖人像などが並ぶ。
そして次に現れるのは親子ニ代の作品を陳列した美術館。
洞窟のなかに納める彫刻作品と美術館に並べられている作品との明確な区別はないようである。
取り敢えず良く出来たものは美術館に置いとこか、といった程度か。
ここで分かった事は、どうやら現院主は副業(ハニベ巌窟院主が本業だとすると)として銅像製作をやっておられるらしい、という事とこの人たち親子二代に渡ってあまりマトモな芸風ではないという事。
美術館を出ると、いよいよメインイベントの巌窟院への入口である。
ここも凄く広いスペースで贅沢に空間を使って展示してある。
始めは菩薩像やインド風の彫刻などが展示されややおとなしめの印象を受けるが、進むに従ってドンドンとエグくなってくる。
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そして地獄巡りに於いてその負のエネルギーは頂点を極めることになる。
耳や目玉を喰う鬼の食卓、様々な地獄の責め苦の様子血の池地獄、戦慄の拷問シーン等々。
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エロ、グロの千本ノック状態。もう、乱歩ワールド全開である。男尊女卑マニアの方にもおすすめ。
そしてデカイ閻魔様に睨み付けられた後は初代院主の代表作で本尊の釈迦牟尼仏と十大弟子がズラリと並ぶ広間へ。
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もうこの辺まで来るとあまりのお腹一杯具合にひたすら外に出たい、としか思えなくなってくる。
決して人形が怖い訳ではないのだが、何かこれを作った人たちの病んだ感じがどうも胃にもたれるのだ。
巌窟を抜けて外に出る。
あまりの凄さに少しボーっとしながらふらふらと山上の寝釈迦を見に行く。そこにはあちこち崩れかかってる何とも情けないコンクリの寝釈迦が横たわっていた。
ちなみに現院主の御子息も現在、立派なハニベ師となるべく東京で修行中とのこと。ここは現在進行中の珍寺なのだ。ここの家に生まれないでよかった。
数日後。
帰りに小松空港の土産コーナーを覗いていると、何と小松の名物としてハニベ師の作った人形が売られているではないか。ハニベの権力、おそるべしおそるべし。
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