猩々 2/愛知県




名古屋市の一部に生息する超希少種である猩々サマの生息状況を調査すべく次に向かったのは氷上姉子神社





この神社の例祭には数多くの猩々がお目見えするのだとか。


超楽しみである。



このあたりは高速道路や自動車専用道、または主要国道が多く、のんびりとした町や農村がいきなり巨大な道路によってぶった切られているのを何度も目にした。

この神社もすぐ近くに名古屋高速の大高ジャンクションがあり、新しい秩序と古い秩序が交じり合うことなくぶつかり合っていた。

その是非を問うつもりなどさらさらないが、それはそれで愛知っぽい光景だと思う。




余談でしたね。





ここの祭礼は各町内があでやかな花車を宮入りさせるので大層賑やかだ。






そんな行列の中に猩々サマも混ざっている。


…っといきなりこっちに向かって走り出してきたぞっ!




猩々の大人形の最大の特色、それは体が竹のフレームで出来ているので軽くて機動力があること。


それはかつては子供たちを追い掛け回して叩きまくっていたからに他ならない。


今ではそんな行為は見られないが、たまに猛ダッシュして子供たちをビビらせる程度の「ご挨拶」はここの祭礼では健在だ。






各町内とも派手な花車が続き、そこはかとなくラテンっぽいノリが感じられる。




こちらにも猩々サマが。




派手な衣装に強烈なお顔立ち。




この猩々サマは比較的おとなしかった。




恐らくそれぞれの猩々がはっちゃけるかどうかは「中の人」のキャラによるのだろう。




先ほど有松のカラクリ山車で見たような唐人人形を掲げる山車。もちろんカラクリ人形などではない。




そうこうしている内にとびっきり珍妙な猩々サマが現れた。





頭が…缶!




一体どうしたことであろう。


でも派手な着物、赤いロン毛、赤い顔…と、猩々としての最低限のアイテムは備えているのでここでは猩々と呼ばせていただくが、コレだけ見たら缶のオバケである。


缶を固定するのが難しかったのか、常に頭を下げっぱなし。

本来は子供を追い掛け回す恐ろしい猩々なはずなのだが、妙に腰の低いカミサマと化していた。



恐らく猩々の頭部が破損してしまったのだろうが、それにしても缶で代用するとはアバンギャルドすぎるぞ。



さらに各町内の行列は続く。花車の向こうに見えるのは名古屋高速。






これまた派手な猩々サマが登場!




黄色と紺のツートンカラーの着物を纏った2体の猩々サマはかなりアグレッシブにチビッ子達を追いかけていた。




…と思ってらこっちにやってきた!

うわぁ〜。食われる〜〜〜〜〜〜〜。




間近に寄られると本当にコワい。



こりゃあチビッ子も泣くわな。








さらに前髪で顔が見えない貞子系猩々コンビの登場。




何故か火の用心の幟を背負っている。




今回見た祭礼の中ではここ氷川姉子神社の例祭が一番イメージに近い猩々軍団だったな。



うむ。満足満足。








さて、若干のお腹一杯感を感じつつ次に向かったのは南区呼続

このエリアにも猩々をはじめとした大人形がフィーチャーされる祭りが数箇所ある。



呼続9丁目。

通りに面して数体の猩々が鎮座していた。




古老の話ではこの町内の猩々は飾るだけで数十年来練り歩いたりはしていないのだとか。





さらに北上すると大小2体の猩々サマが町を練り歩いていた。




しかも何だあ!この姿!




ツヤツヤの頭部にわずかに残った髪の毛。

まるで宇宙人のようではないか。

ボルネオの類人猿がついに宇宙人レベルにまで昇華してしまったぞ。




よく見ると宇宙人…もとい猩々サマの胴体から顔が覗いているではないか。



まるでラゴラ尊者の腹パックリ芸みたい。


参考;羅怙羅尊者の腹パックリ芸
ロケ地;京都



陽は傾ききって段々薄暗くなっていく中、またしても猩々サマが!



今度は3人組!




これまたお腹から子供の顔が。




「暑ー!」とでも言っているんだろうか。



確かに薄い布とはいえ閉塞感はハンパないだろう。

この日は10月とはいえ結構暑かったのでこうして時には顔も出したくなるであろう。



街角にポツンと猩々サマが鎮座していた。



何で町を練り歩かないのかな、と思って近づくと…


うわあ。



稼動不可能な状態でした…。



別の町内の猩々が駆け抜けていった。



最早着物もはだけ、ボーリングのピンみたくなっていた。


そういえばこの猩々サマは身体が竹ではなく、頭部と一体化しているのか。


作られる時代ごとに色々進化しているんだなあ。




仲良し女子コンビがこちらに向かってピース。




そうこうする内に陽は暮れ、賑やかな祭りもお開きとなる。

人々は祭りの興奮覚めやらぬ様子で家路に帰っていった。




さて、ポツンと残された私はぼんやりと猩々サマのことについて考えていた。


当サイト既報の南九州の弥五郎どん東北地方の人形道祖神などを挙げるまでもなく、「カミサマ=畏怖の念=大きい」という図式は古今東西共通した認識だと思う。


つまり人がカミサマを表現する際、巨大な神像をつくることで畏怖の念を表現する場合が多い、ということ。

これは日本だけでなく世界中の信仰の世界で比較的よく見られる現象といえよう。


この「カミサマを巨大化させる現象」の行き着く先が100メートル級の巨大仏だとすれば、この猩々サマは大仏への形態を踏み出した第一歩といえよう。





気が付けば祭りも終わりすっかり暗くなってきた。

…さあ、帰りましょうか。








祭りの後片付け。傍らには中身の抜けた上半身だけの猩々サマが置かれていた。



おつかれさまです…。





参照;名古屋市博物館特別展「大人形への祈り-息災と豊穣を願う」図録;1997年

2012.10.
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